
目次
- 4世紀の中国
- 西洋医学とFMT
- 現代に復活したFMT
・本文中のカッコ付き番号は、記事下部の参考文献の番号を表しています。
1.4世紀の中国
歴史的記述として残存している資料の中で、もっとも古いFMT(糞便微生物移植)の記述は4世紀の中国、晋の時代に葛洪という人が書き記した『肘後備急方』(Zhou Hou Bei Ji Fang)という救急医療のための本にある。
この本では、重症の下痢や食中毒、熱病、腸チフスなどの症状に対して、健康な人の便を「消化管経由で」与えるという記述がある。
黄色スープなどとして表現を和らげているものの、口から飲む場合には抵抗があったに違いないが、天秤にかけているのは命なのだ。背に腹は変えられない思いで飲んだのだろう。
私たちが排泄物に嫌悪感を覚えるのは、それがヒトの文化だからという理由だけではない。鼻水やよだれ、吐瀉物や便には、重篤な感染症をもたらす細菌やウイルスが含まれている場合もあるだろうから、その感覚は自己防衛本能でもある。
便の中の微生物が病気に効いていることなど当時は知る由もなかったはずなので、FMTという方法は科学技術や理論とは別に「やってみたら効いた」という類の民間療法が始まりだっただろう。
中国では、4世紀の記述の時点ではすでに他の医学者たちが一般的に行っていたようだから、歴史はもっと古いのかもしれない。
彼らは、他の動物たちが食糞するのを見て、アイディアを思いついたのだろうか。昔の人の理屈を飛び越える力には、驚嘆するばかりだ。
16世紀にも、同じく中国の医学書で同様の記述が見つかる。このあたりの経緯についてとても詳しく記載している論文(1)があるので、興味のある人は読んでみてください。
便を摂取することで病気を治す文化を持っていたのは中国だけではなかった。
第二次世界大戦の最中、ナチス・ドイツの兵たちはアラブの遊牧民たちがラクダの糞を食べることで赤痢を治すことを発見した。遊牧民たちは、少しでも下痢をするとラクダのあとをついてまわり、排便したてホヤホヤの糞を食べるのだ(2, P208)。
あとから科学が証明したのは、温かいラクダの糞には枯草菌(Bacillus subtilis)が大量に含まれており、この細菌が下痢状態にある腸のウイルスや細菌を駆逐してくれていたという事実だった(3)。
これらの事実を見ても、FMTは科学技術の結晶ではなくて民間療法の賜物だということがわかる。現代の科学は、この方法をより安全に、より有効に行うことによって、緊急時以外にも使える医療に昇華しようとしているにすぎない。
2.西洋医学とFMT
西洋医学にはじめてFMTが論文(4)として登場するのは、1958年のことだ。
デンバー退役軍人管理局病院の医師たちは、健康な人から採取した便を偽膜性大腸炎という致命的な下痢にかかった患者4人に肛門から投与した。この疾患は、ほとんどの場合は今で言うクロストリジオイデス・ディフィシル(Clostridioides difficile[C. difficile])腸炎だ。(以前の名前はクロストリジウム・ディフィシル)
結果は目覚ましく、4人全員が急速に回復した。
医師たちはこの治療法を本格的な治験のステージに進めようとしたのだけれど、結局頓挫してしまった。
時代は抗生物質の天下である。1929年にアレクサンダー・フレミングがペニシリンを発見し、第二次世界大戦では多くの戦傷兵たちが抗生物質のおかげで致死的な感染症を免れた。
1945年にフレミングがノーベル生理学・医学賞を受賞し、一般の人々にも抗生物質がいきわたるようになると、致死的ではない感染症にも抗生物質が投与されるようになっていった。
細菌は敵である。そして人類は、その戦いに勝利した。
当時の人々にあったのは、このような細菌への嫌悪感と高揚感であり、細菌やウイルスを多量に含んだ「汚くて危ない」FMTは、まったく広まらずに忘れられていった。
3.現代に復活したFMT
その後の時代、FMTは長いあいだ日陰の治療法だった。
抗生物質が効かずに命が危ない場合に限って、最後の手段として細々と実施されているに過ぎなかった。この半世紀のあいだに、FMTの灯を絶やさずにつないでくれた医師たち(5,6)には感謝するしかない。
手前味噌で恐縮だけれど、弊社の関連組織である一般財団法人腸内フローラ移植臨床研究会を立ち上げたうちの一人である臨床検査技師は、約40年前から日本国内で医師の協力を仰ぎながらFMTを実施し、その方法論の改良に尽力してきた。
その結果、NanoGAS®FMTという、より効果の高い実施法の開発に成功している。
2000年代になって、アメリカでC. difficile腸炎(CDI)が深刻な社会問題になってきた。抗生物質の過剰使用などによって、一種類だけの細菌が腸の生態系を蹂躙してしまい、ひどい下痢や体重減少を伴い、最悪の場合には死に至る。
アメリカだけでも毎年50万人が罹患し、3万人が亡くなっている(7)。
この疾患にFMTが劇的に効くことを知っていた一部の医者たちが、最後の手段として患者たちにFMTを実施する件数が増えていくにつれて、この治療法が注目されはじめた。
折しもヒトマイクロバイオームプロジェクトの始動などによって、常在細菌などの共生微生物の重要性が認識され始めた頃であり、タイミングもよかった。
2012年にアメリカのHamiltonら(8)が凍結した糞便でも同様の効果があることを示し、2013年にはオランダのvan Noodら(9)が再発性CDIに対するランダム化比較試験によってFMTの有効性を示した。
このランダム化比較試験は、FMT治療法を民間療法の位置から現代科学に基づいた医学へと大きく飛躍させた重要な成果だった。
FMTが効いているのは、偶然やプラセボ効果などではないことが証明され、それどころかあまりにも効きすぎたため、これ以上比較試験を行うのは倫理的にいかがなものかということになり、予定していた120名の患者のうち、最初の43名の結果をもって試験を打ち切ったほどだった。
FMTの治癒率は94%で、標準治療は23%から31%だったため、監督機関である医療安全委員会も、試験を中止してFMTを新たな標準治療とすることに賛成した。
このようにして、FMTは具体的な機序が解明されないまま、その圧倒的な効果をもって現代医学に迎え入れられることになった。
とはいえ、まだ課題は多く残っている。
安全性はどのように担保するべきか?
ドナー選定の基準は?
適応疾患は他にもあるか?
より簡便な方法で実施できないか?
そして、この方法がなぜ、どのように効果を発揮するかを解明することも、研究者たちの興味の対象となっている。
※FMTに関する記事へのリンクをまとめた記事はこちら。
1. Zhang F, Cui B, He X, Nie Y, Wu K, Fan D. Microbiota transplantation: concept, methodology and strategy for its modernization. Protein Cell. 2018;9(5):462-473. doi:10.1007/s13238-018-0541-8
2. ロブ・デサール, パーキンズスーザン・L. マイクロバイオームの世界――あなたの中と表面と周りにいる何兆もの微生物たち. 紀伊國屋書店; 2016.
3. Damman CJ, Miller SI, Surawicz CM, Zisman TL. The microbiome and inflammatory bowel disease: is there a therapeutic role for fecal microbiota transplantation? Am J Gastroenterol. 2012;107(10):1452-1459. doi:10.1038/ajg.2012.93
4. Eiseman B, Silen W, Bascom GS, Kauvar AJ. Fecal enema as an adjunct in the treatment of pseudomembranous enterocolitis. Surgery. 1958;44(5):854-859.
5. Bennet JD, Brinkman M. Treatment of ulcerative colitis by implantation of normal colonic flora. Lancet Lond Engl. 1989;1(8630):164. doi:10.1016/s0140-6736(89)91183-5
6. Borody TJ, George L, Andrews P, et al. Bowel-flora alteration: a potential cure for inflammatory bowel disease and irritable bowel syndrome? Med J Aust. 1989;150(10):604. doi:10.5694/j.1326-5377.1989.tb136704.x
7. Feuerstadt P, Theriault N, Tillotson G. The burden of CDI in the United States: a multifactorial challenge. BMC Infect Dis. 2023;23(1):132. doi:10.1186/s12879-023-08096-0
8. Hamilton MJ, Weingarden AR, Sadowsky MJ, Khoruts A. Standardized frozen preparation for transplantation of fecal microbiota for recurrent Clostridium difficile infection. Am J Gastroenterol. 2012;107(5):761-767. doi:10.1038/ajg.2011.482
9. van Nood Els, Vrieze Anne, Nieuwdorp Max, et al. Duodenal Infusion of Donor Feces for Recurrent Clostridium difficile. N Engl J Med. 2013;368(5):407-415. doi:10.1056/NEJMoa1205037
本ブログ記事は、
シンバイオシス株式会社微生物事業部の研究員が
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記事タイトル:FMTの歴史 他人のウンチは下痢に効く
記事リンク:https://note.com/symbiosis17/n/ndebdc458c688

発酵食品を食べると、体調がいい。
そういうお声はよく聞きます。発酵が終わっているので、消化器への負担も少なくて済むのだとか。
今日は、ヨーグルトに関して読者さんのご質問をいただきました。
質の良いヨーグルトを毎日食べるようになり、汗臭さを感じなくなりました。(汗の中の雑菌どこいった?)
ヨーグルトを食べているときは肌がモチモチします。何故でしょう?
Cさん
ご質問ありがとうございます。
今日はあまり堅い話ではなく、ゆるっと答えていきます。
目次
- ヨーグルトと汗の臭い
- ヨーグルトと美肌
- ヨーグルトと細菌の関係
(1)ヨーグルトの細菌は腸に棲み着かない問題
(2)棲み着かなくても別にいい - 日本人とヨーグルトの関係
- 質問募集
1.ヨーグルトと汗の臭い
ヨーグルトで汗の臭いが減ったんですね。非常にうらやましいです。
私は妹によく「体育会系の男子の部室の臭いするで。ワキガなんちゃう? キムタクもワキガやったし、手術で簡単に治るみたいやで」と、遠巻きに手術を勧められるレベルの脇クサ人です。
今は離れて暮らしていますが、会ってハグするときは脇をギュッと締めてハグします。(あんまり効果ないらしい)
では、私もヨーグルトを食べればいいんでしょうか?
残念ながら、数年前まで1日600gほど無糖ヨーグルトを食べていましたが、脇臭はピンピンしています。(その後自分の中でブームが去り、現在3日で1パックぐらい食べる)
さて、汗はなぜ臭うのか?
ご質問に「汗の中の雑菌どこいった?」と書いてくださっていますが、実は汗そのものはほぼ無臭だそうです。
汗腺は2種類あって、そのうちアポクリン腺という脇などにたくさんある汗腺からは脂質・たんぱく質・糖質・アンモニアが混じっていて、それを細菌が分解するときに臭いが出るそうです。(1)
もう一種類のエクリン腺は、全身にある汗腺です。ここからは水や塩分を主体とする汗が出ています。首や腕からかく汗が臭いにくいのは、こういうわけでした。
なので、食べるものを変えることで、汗に出てくる成分を変えて、その結果として細菌があんまり臭い成分を出さないようにすることはありえそうです。
ただ、効果が出るかどうかは人それぞれっぽい。質の良いヨーグルトってのが肝なんやろか。
私は「その時スーパーで安いやつ」を食べてただけなんで。
2.ヨーグルトと美肌
ヨーグルトとモチモチ美肌。
いいですねえ。
このへんの関係については、ヨーグルトメーカーの記事ぐらいしか出てこなかったんで、次の段落に詳細を譲ります。
発酵食品と美肌に関する論文を集めて分析した論文(2)もありますが、研究の数が少なすぎて正確なことは言えないという結論でした。
ただ、ヨーグルトを顔に塗ると美肌になるという記事はいっぱいありました。
もったいないけど、パックのあとに食べるなら一石二鳥なんか?
いや、食べへんよな。
3.ヨーグルトと細菌の関係
さて、ヨーグルトと健康についてはいろいろな言説があって複雑です。
ここではヨーグルトに含まれる細菌が腸内細菌に与える影響という観点に絞ってお話します。
つまり「ヨーグルトを食べて腸内細菌のバランスが整ったことで、汗の臭いが減ったり肌質がよくなった可能性」を検討します。
18世紀後半〜19世紀前半に活躍したロシアの微生物学者メチニコフは、ブルガリア人が長寿なのはヨーグルトのおかげだと信じ、毎日たっぷりヨーグルトを食べていました。
彼は71歳で心不全で亡くなりましたが、細菌にはエエ働きをする人たちもいると信じていました。(3)
残念ながら、その思想は1928年に抗菌薬(抗生物質)が誕生したことで一旦忘れられてしまうんですが…
実際、ヨーグルトを食べると腸内細菌の構成が変わったという研究はけっこうあります。
(1)ヨーグルトの細菌は腸に棲み着かない問題
ヨーグルトを食べていると、その人のうんちに含まれる腸内細菌のうち乳酸菌やビフィズス菌の比率が上がるという研究結果を見たことはありませんか?
ヨーグルトメーカーがお金を出して、こういう研究をしています。
私のうんちは、ヨーグルトを1日600g食べていた時代でも全然それらの比率は増えませんでしたが、中には確かに増える人もいます。
なぜか?
それは、食べたヨーグルトが胃に入り、腸に入り、うんちになって出てきたからです。
胃酸で死んだ細菌も、腸内フローラ検査(16S rRNA検査の場合)では検出されます。
私たちが乳幼児期に獲得した「ズッ友(ずっと友だち)」の菌たちとは違い、ヨーグルトの細菌たちは夏休みのバイトで出会ったひと夏の恋のお相手です。
食べるのをやめると、乳酸菌やビフィズス菌は消えていきます。
バイトをやめると、夏の恋も終わります。
ご質問に「ヨーグルトを食べているときは」とあったのは、そういうことです。
(2)棲み着かなくても別にいい
さて、棲み着かないと意味がないのか?
そんなことはありません。
食べたものに含まれる菌たちは、うんちとして出ていくまでにいろんな仕事をします。(彼らを通過菌と呼ぶ)
だいたいは胃酸で死んでしまいますが、彼らの死骸は他の腸内細菌たちのごちそうになります。
そして、中には生き残って腸まで届き、そこで増殖して「代謝産物」と呼ばれる有益な物質を出してくれる菌もいます。
この代謝産物が、体調を整えてくれている可能性があります。
ほな、代謝産物だけ食べたらいいんちゃう? という発想で作られているのがポストバイオティクスです。
たしかに理にはかなっています。
ただ、上述のとおりヨーグルト菌の代謝産物だけではなく、その死骸を食べた腸内細菌が出す代謝産物も良かったりするので、ヨーグルトのほうが効果を感じる人もいます。
ちなみに、ひょんなことから棲み着いてくれる菌たちもわずかですが出てきます。ひと夏の恋が、ゴールインするパターンですね。
4.日本人とヨーグルトの関係
腸内細菌の問題を考えるときに注意すべきなのが、国籍や人種です。
日本人がヨーグルトを食べるようになったのはいつからでしょうか?
ごく最近のはずです。
日本は戦争に負けたので、戦後から今に至るまで、アメリカ主導で小麦や乳製品を摂るように教育されてきました。
菌たちの進化の速度は早いので、もしかしたらヨーグルト菌はすでに日本人の体質にフィットしたかもしれません。(ヨーグルトは牛乳よりも乳糖不耐症の症状が出にくい)
一方で、納豆に含まれる枯草菌や、漬物に含まれる乳酸菌、味噌に含まれる酵母や乳酸菌のほうが、ひょっとしたらもっと体に合うかもしれません。
よかったら試してみてください。
私は漬物がめっちゃ苦手なので、ヨーグルトがいいんですけどね。
5.質問募集
読者の皆さんからのご質問を募集します!
腸内細菌に関すること、もっと広げて微生物に関すること、科学研究に関すること、会社のこと、なんでも結構です!
ご質問は、X(旧Twitter)のアカウントを別のスタッフが運営してくれているのでそこからか、
noteのコメント欄より!
1. 【コラム】私のワキ、もしかしてクサイ!?気になるワキのニオイを今すぐ予防する方法. ロート製薬: 商品情報サイト. Accessed August 30, 2024. https://jp.rohto.com/learn-more/bodyguide/nioi/prevention/
2. R V, K S. Effects of Fermented Dairy Products on Skin: A Systematic Review. J Altern Complement Med. Published online July 2, 2015. doi:10.1089/acm.2014.0261
3. Mackowiak PA. Recycling Metchnikoff: Probiotics, the Intestinal Microbiome and the Quest for Long Life. Front Public Health. 2013;1:52. doi:10.3389/fpubh.2013.00052
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記事タイトル:ヨーグルトを食べると汗臭さが減り、肌がモチモチするのはなぜか?【読者質問】
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本で学ぶ派の人のために、微生物のことを学べるおすすめの一般書をご紹介します。
目次
1.まえがき
2.入門編 まずはここから。
(1)『9000人を調べて分かった腸のすごい世界 強い体と菌をめぐる知的冒険』/國澤 純
(2)『細菌が人をつくる』/ロブ・ナイト
(3)『腸内細菌が喜ぶ生き方』/城谷 昌彦
3.初級編 もう少し詳しく、でもがっつり専門用語はやめてね
(1)『あなたの体は9割が細菌』/アランナ・コリン
(2)『マイクロバイオームの世界』ロブ・デザール&スーザン・L・パーキンズ
(3)『きたない子育てはいいことだらけ』/ブレット・フィンレー、マリー=クレア・アリエッタ
4.中級編 いちばん活躍する知識を授けてくれる本たち
(1)『共生微生物からみた新しい進化学』/長谷川 政美
(2)『失われてゆく、我々の内なる細菌』/マーティン・J・ブレイザー
(3)『土と内臓』/デイビッド・モントゴメリー、アン・ビクレー
(4)『家は生態系』/ロブ・ダン
5.上級編 この分野の概観をひととおり知ったあとのあなたに
(1)『微生物が地球をつくった』/ポール・G・フォーコウスキー
(2)『微生物生態学』/デイビッド・L・カーチマン
6.番外編
(1)『発酵文化人類学 微生物から見た社会のカタチ』/小倉ヒラク
1.まえがき
すべて、私が最後までじっくり読んだことのある本に限定しています。なので、あまり数は多くありません。
この記事を書く際にもお世話になった本ばかりです。
この分野は黎明期〜成長期にある分野で、5年経つと常識が変わっているという場合もあります。
ですが、2010年前後の論文は古典として今でも引用されることも多く、一般書でも2015年以降の出版であれば全体としては大きく間違っていないだろうという印象があります。
時を経ないとわからないこともあって、新しい情報のほうがいい、とも一概に言えない世界で、この分野の権威や優秀な科学ライターたちが定期的にまとめる書籍を読むと得るものがたくさんあります。
全体的にヒト共生マイクロバイオームの比率が大きめですが、微生物そのものの生態や進化史、環境中の微生物についても研究が進んでいて、一般書も存在します。
あと、本文でいちいち触れていないけれど、翻訳者の方たちの仕事もすごい。
2.入門編 まずはここから。
腸内細菌のことはほとんど知らない、という方におすすめの本たちです。
だからといって、いわゆる一般的な腸活本のように、変に煽ってきたり、美容系のきらきらした話題や精神論に特化しているわけでは決してないです。
ちゃんと科学的なエビデンスや見解に基づきつつ、ものすごくわかりやすく書いてくれている書籍です。
これらの入門編を読んで、もっと詳しく知りたい!と思った方は、初級編以降に進まれるといいかと思います。
(1)『9000人を調べて分かった腸のすごい世界 強い体と菌をめぐる知的冒険』/國澤 純

こちら『9000人を調べて分かった腸のすごい世界 強い体と菌をめぐる知的冒険』は2023年4月出版の、一般書としてはかなり新しい書籍です。
著者は国立研究開発法人 医薬基盤・健康・栄養研究所 ヘルス・メディカル微生物研究センター センター長である國澤 純氏で、彼は間違いなく日本の腸内細菌研究のトップ級の一人です。
個人的にファンです。
2019年には弊社の関連法人である一般財団法人腸内フローラ移植臨床研究会第3回学術大会でも基調講演をしていただいたのですが、ハンパなくレベルの高い内容なのに、一般人にも最後まで面白く聞くことができました。
コミュニケーションスキルも高い研究者って、珍しくないですか?(失礼やな)
かなり詳しく、かつわかりやすく、最新の情報を手っ取り早く知りたい人に最適な一冊です。
タイトル通り、ヒト共生マイクロバイオームのうち腸内細菌をメインに扱っています。
(2)『細菌が人をつくる』/ロブ・ナイト

2018年出版の『細菌が人をつくる』は、アメリカの著名な微生物学者であるロブ・ナイト(Rob Knight)氏が著者です。
この本は彼の2014年のTEDトークが元になっていて、この仕事をはじめた頃に動画を見た私は、ポロシャツ&ほっそりカッコいいKnight氏を勝手に推しメン認定していました。(名前もカッコいいよね。Knightって。)
が。
2018年に来日して講演した氏は、なんか…ふつうの…オッチャンでした…
ちょっと二重顎になって、ダボッとしたスーツだったからでしょうか。多忙って大変。
とにかく、科学というのは正確さを維持したままここまで噛み砕いて説明ができるのか! と舌を巻いた一冊。
このくらいわかりやすく書けないうちは、ちゃんと理解しているとは言えないよなぁと自戒をこめておすすめします。
簡単だけれどテキトーではなくて、ほぼすべての記述にリファレンスがつけられています。こちらもヒト共生マイクロバイオーム(特に細菌)が話題の中心。
(3)『腸内細菌が喜ぶ生き方』/城谷 昌彦

こちらは2019年出版の『腸内細菌が喜ぶ生き方』です。
著者はルークス芦屋クリニック院長の城谷昌彦氏。
弊社関連法人である一般財団法人腸内フローラ移植臨床研究会の専務理事をなさっておられる方です。
城谷先生は、潰瘍性大腸炎を患って大腸を全摘しておられ、その経験も書籍の中で語られています。
腸内細菌と宿主が共生してひとつになっているさまを「ホロビオント(holobiont)」と呼ぶことがありますが、西洋医学の欠点のひとつに木を見て森を見ない、つまりホロビオントとして見れていないことが挙げられると思います。
著者は西洋医学はもちろん、東洋医学や心理学等にも精通し、広い視点で腸内細菌と向き合っておられる数少ない人だと言えます。
3.初級編 もう少し詳しく、でもがっつり専門用語はやめてね
入門編では物足りない方に、初級編の書籍をいくつか紹介します。
門の内側には入ってみたいけれど、あまり小難しい言い回しはしてほしくないわ、という方におすすめ。
(1)『あなたの体は9割が細菌』/アランナ・コリン

続いては2015年に原書が出版され、日本では2016年に単行本が出た『あなたの体は9割が細菌』を紹介します。
著者のアランナ・コリン氏は進化生物学の博士号を持つサイエンスライター。
抗生物質に命を助けられた経験を持ち、その後の不調は抗生物質による腸内細菌の乱れが原因ではないかと思いはじめたところから、マイクロバイオームの世界に興味を持ち始める。
さすがプロのライターだけあって、話の展開もうまいし、リサーチ力もすさまじい。
私たちの体に共生するマイクロバイオームについて、入門書よりはしっかり学びたいなという人に、まずおすすめしたい一冊です。
(2)『マイクロバイオームの世界』ロブ・デザール&スーザン・L・パーキンズ

2016年出版の『マイクロバイオームの世界――あなたの中と表面と周りにいる何兆もの微生物たち』も、微生物の概観を学ぶのに適した良書です。
上述の『あなたの〜』と同様にヒト共生マイクロバイオームが中心だけれど、前者が私たちの健康と細菌の関係という視点を軸に展開されているとすれば、こちらはより微生物たちの視点から話を進めていると言えるかもしれない。
その理由は、著者たちのプロフィールを見れば少し納得がいくかも。彼らはアメリカ自然史博物館の学芸員で、実益とは少し距離を置いたところから事実を眺めることに慣れているのでしょう。
本書はアメリカ自然史博物館で2015年11月から2016年8月まで開催されていたマイクロバイオームの展示会に合わせて制作されたものだそうで、内容もなんとなく展示会を順に巡っているかのような気にさせられます。
微生物の種の特定に使われる次世代シーケンサーの仕組みも簡潔に解説されていて、参考になりました。
(3).『きたない子育てはいいことだらけ』/ブレット・フィンレー、マリー=クレア・アリエッタ

2017年出版の「きたない子育て」はいいことだらけ! ―丈夫で賢い子どもを育てる腸内細菌教室は、カナダの著名な微生物学者たちによる本。
どちらも子どもを持ち、仕事でも子どもに接する機会が多いことから、妊娠と出産、そして子どもたちの腸内細菌についての最新の科学論文をわかりやすくまとめてくれています。
本noteでも「腸内細菌は何歳までに決まる? 赤ちゃんから子どもへの成長とともに歩む菌たちのこと」と題したシリーズでお送りしている内容だけれど、もっとこの分野に関してだけでいいから詳しく知りたい人におすすめ。
同じような内容で「子どもの人生は「腸」で決まる: 3歳までにやっておきたい最強の免疫力の育て方」という本もあり、こちらはQ&A形式が基本で、さらに易しい内容。
4.中級編 いちばん活躍する知識を授けてくれる本たち
微生物の世界に馴染んできたら、これから紹介する本たちに手を出していい頃合いです。
手早く知識を得るなら簡単な本がいいけれど、ちゃんと理解しようと思うなら、大事な情報が「かんたん言葉」に翻訳される前の生の言い方をされている本を読むのがいいと思います。
(1)『共生微生物からみた新しい進化学』/長谷川 政美

2020年出版の『共生微生物からみた新しい進化学』を紹介します。
この本の目次を見た途端、私のnoteの存在意義を再考させられました。
それくらい、網羅的に微生物と私たちの関係を、最新の研究を踏まえてまとめてある本です。
まえがきにある通り、著者が現役引退後に自分で勉強した内容をまとめているとのことで、どちらかというと一歩ひいた立場からいろんな研究を眺めることができます。
ヒト以外の生きものも含め、微生物との共生を「進化」という縦軸で理解できます。ストーリーを楽しむというより、リファレンス本としても活躍しそう。
(2)『失われてゆく、我々の内なる細菌』/マーティン・J・ブレイザー

『失われてゆく、我々の内なる細菌』は、2015年に出版されて10年弱が経つにもかかわらず、未だに「読むべき腸内細菌関連の本」の五本指に入ると思います。
著者のマーティン・J・ブレイザー氏は、微生物学の第一人者も第一人者で、マイクロバイオーム研究の皮切りであるヒト・マイクロバイオーム・プロジェクト(HMP)のリーダー格です。
前述のロブ・ナイト氏と並んで、というよりこちらのほうが大御所でしょうが、この業界で知らない人はいないはず。
著者は長年、「ピロリ菌ってほんまにそんなに悪いん?」という視点で研究を続けてきて、のちに抗生物質が常在細菌に与える影響を幅広く研究しています。
特に肥満と細菌の関係に詳しいですが、細菌の多様性が失われることに早くから警鐘を鳴らしていた慧眼ある人。
(3)『土と内臓』/デイビッド・モントゴメリー、アン・ビクレー

続いては2016年出版『土と内臓―微生物がつくる世界』を、愛を込めて紹介します。
地質学者の夫と環境計画のプロである妻が二人で作ったこの本は、表紙の絵と題名のインパクトだけでマーケティングをほぼ成功させていると言ってもいいんじゃないでしょうか。
そしてページを開くと、どの1ページとて裏切られることはありません。
豊かな畑に暮らす土壌微生物に焦点を当てた前半、がんを患った妻を主人公にヒト共生マイクロバイオームに焦点を当てた後半。
そのすべてが、著者たちの叡智と熱意と素晴らしい編集チームによって、芸術的にまとめられています。
そうよね、土の中とわたしたちの体って、つながってるよね!!科学的にも!
もし家が急に火事になったら、どうしても外せない小説5冊と、夫にもらった手作りのアルバムと手紙と、買ったばかりの木製ヨガブロックに次いで、まだ持てたら絶対に運び出したい一冊。(中途半端やな)
でも、仕事関係の本の中では一位やから!!(どんなフォローや)
(4)『家は生態系』/ロブ・ダン

2021年に出版された新しい本である『家は生態系―あなたは20万種の生き物と暮らしている』には、ごく一部を除いて、ヒトの体に住むという意味でのヒトマイクロバイオームは出てきません。
そのかわり、私たちの家に住むマイクロバイオームを次々に紹介しています。微生物生態学といえば、これまで極限環境に出かけていって調べるのがメインでしたが、身の回りの菌たちに焦点を当てた研究がひそかに盛り上がっています。
著者はノースカロライナ州立大学教授のロブ・ダン氏で、本に掲載されている顔写真はハリー・ポッターに出てきそうな感じです。
いつのまにか、ミクロの世界が見える魔法にかかったような気分になる本。
日本で屋内環境微生物といえばBIOTAさんですよね。
はじめてウェブサイト見たときから、いつかここと仕事したいな〜と、自分を磨きながら狙っています。
自分と共生している菌たちも、身の回りの菌たちも。
目に見えないからこそ、その存在をしっかり感じたい。
5.上級編 この分野の概観をひととおり知ったあとのあなたに
ここに載せる本たちは、決して読みやすい本ではありません。
もっともっと微生物の世界にどっぷりつかっていきたいマニアたちに勧めます。
(1)『微生物が地球をつくった』/ポール・G・フォーコウスキー

『微生物が地球をつくった -生命40億年史の主人公』をはじめて手に取ったのは、近所の図書館でした。
「おお、これは読まねば」と直感するも、貸出期限内に読み切れるような本ではないと思い、そのままブックオフオンラインで注文しました。
あのとき、2週間だけ借りて最初の方を読んでいたら、多分買っていなかったでしょう。
微生物の進化論や生化学が専門の海洋生物学者である著者の言葉は、化学な苦手な私には難解すぎました。
なので、この本は化学ができる人にとっては上級編には入らないと思われる本です。
ただ、後半は俄然面白くなってくるし、医療論文などの結果として目に見える現象の奥で何が起こっているのかを想像できるようになるので(なんとなくやけど)、読んでおいて損はないです。
というか、かなりの良書です。再読を誓っている一冊。
(2)『微生物生態学』/デイビッド・L・カーチマン

2016年に出版された『微生物生態学: ゲノム解析からエコシステムまで』は、こういう本、なかったよね! でも絶対に必要だよね! という声があちらこちらから聞こえてきそうな本です。
微生物学というのは全体ではなく部分から始まった学問で、それゆえに専門がばらばらと細分化しているフシがあるけれど、ほぼすべての生命が微生物と共生しているという事実を鑑みると、すべての(特に生物)科学者が知っておくべき分野である気もする。
そういうわけで、微生物の世界をすべて網羅しようとしたのが、本書の狙いのようです。
かなり難しく、これはもはや一般書ではなくて完全に専門書です。
いつか、この本が自分のバイブルになるよう精進しようと思いながら、最初の1割くらいを苦労して読んだところです。
今のところは、これが部屋にあると気が引き締まる、という役割しか果たせていません。
また面白そうな本があれば、紹介します。
6.番外編
(1)『発酵文化人類学 微生物から見た社会のカタチ』/小倉ヒラク

2020年に出版された『発酵文化人類学 微生物から見た社会のカタチ』は、微生物のことというより、その微生物が働いた結果としての「発酵」という現象に特に焦点を当てた一冊。
著者の小倉ヒラクさんは、もともと大学で文化人類学を専攻されており、デザイナーの仕事をされていたとのこと。
自身のアトピーや喘息が発酵食品で改善された経験から、「発酵デザイナー」として微生物に詳しいデザイナーとして活動されています。
私と同じく文系出身なのに、異様に微生物に詳しいので、私も尻に火がついた気持ちで勉強しようと決意したとともに、
微生物の世界は人文科学や哲学のような学問と重なるところが多いと感じていた自分の背中を押してくれた大切な一冊です。
最初はジャケ買いでしたけど。
本ブログ記事は、シンバイオシス株式会社微生物事業部の研究員がnoteにて作成した記事を一部変更しております。
元の投稿はこちらでご覧いただけます。
記事タイトル:ぜんぶ読んで選んだ、(入門〜上級)微生物・腸内細菌をもっと学ぶためのおすすめ一般書12選
記事リンク:https://note.com/symbiosis17/n/n2d2e6f4a96be

私たちは、私たちの食べたものでできている。
大人になると、この実感はやや薄くなってくる。
けれど、毎日ぐんぐんからだが大きくなっていく赤ちゃんを見ていると、彼らの食べるものがほんとうに彼らの体を作っているのだという感覚を抱く。
それでは、彼らの食べるものはマイクロバイオームたちのからだも作るのだろうか?
答えはほぼ間違いなくYESだ。
今日は、母乳や粉ミルク、そして離乳食がどんな菌たちを育むのか、わかっていることを紹介してみたい。
目次
- 母乳に含まれる消化不可能の糖の謎
- 謎の答え1
- 謎の答え(?)2
- まだまだある、謎の答え
- 粉ミルクと母乳神話とマイクロバイオーム
- 粉ミルクと腸内細菌
- 粉ミルクは太る説
- 離乳食のはじまりと多様性爆発
・本文中のカッコ付き番号は、記事下部の参考文献の番号を表しています。
母乳に含まれる消化不可能の糖の謎
出産によってお母さんからマイクロバイオーム一式を無事に受け取ったあと、赤ちゃんの腸でもマイクロバイオーム生態系の形成がはじまる。
出産後数日すると、複数の種類のビフィズス菌が赤ちゃんの腸で増え始める。この細菌は赤ちゃんの腸で70%〜90%まで増えることもあり(1)、乳酸菌と並んで離乳食が始まるまでの二大構成員となる。
どうしてこの細菌が急に増えてくるのか?
その理由は、母乳の成分を見ればわかる。
母乳には、乳糖、そして脂質に続いて三番目に多い成分であるオリゴ糖(Human milk oligosaccharides ,HMOs)が含まれる。
このオリゴ糖は、生まれた赤ちゃんを含むヒトには消化できない。これを消化して栄養に変えてくれるのがビフィズス菌たちだ。
母親はなぜ、赤ちゃんが直接消化できない成分をわざわざ母乳に含ませるのだろう?
生まれたばかりの赤ちゃんは、せいぜい一回の授乳で数十グラムの母乳しか飲めないというのに。
謎の答え1
第一の理由は、オリゴ糖が病原菌の「専門クレーム処理窓口」になってくれることだ。
未熟で不安定な赤ちゃんの腸マイクロバイオームは、ちょっとしたことで大きく乱れやすい。それでも、外界は容赦なく次々と病原体を赤ちゃんに送り込もうとする。
そこでオリゴ糖が頼りになる。
赤ちゃんを清潔に保つことに神経質になることは母親として自然な感情だが、心配することはない。
母乳に含まれる130種類ものオリゴ糖のうち数十種類は、特定の病原体にぴったりフィットして、病原体が腸壁に付着して増殖するのを防いでくれる(2-P315)。
あらゆるタイプのクレーマーが社長室に殴り込まないよう、クレーマーのタイプごとに専門のクレーム処理スタッフがいるかのようだ。
謎の答え(?)2
次の仮説。
これが答えかどうかは、解釈による。
母親は(母乳は)わざわざビフィズス菌を増やしたいのだと考えてみるとどうだろう。この仮説を支持する研究結果は、実は山ほどある(3)。
ビフィズス菌は、短鎖脂肪酸(乳酸、酢酸など)と呼ばれる有益な物質を出してまだ未熟な赤ちゃんの免疫系を育てるのに役立っている。さらには、腸内のpHを下げて他の菌たちを増えにくくしたり、腸壁のバリアを強くすることで、日々赤ちゃんの体に入り込もうとする病原菌から赤ちゃんを守る。
生後6ヶ月くらいまでは風邪をひきにくいという話を聞いたことはないだろうか?
この理由は、胎内にいるときや母乳を通して母親から抗体(病原菌などをやっつける免疫細胞)をもらうからだと説明されているが、出産時に受け取るビフィズス菌もひと役買っていることは間違いなさそうだ。
まだまだある、謎の答え
そのほかにも、ビタミンB2や葉酸の生成、ワクチンの効きを良くする働きなども知られている。
さらに、母乳そのものにもビフィズス菌をはじめとする母親由来の腸内細菌たちが含まれているとする研究(2-P316,4)も報告されている。
母乳は、ほかにも200種類以上のヒトが消化できない栄養を含んでいる。これらは無駄に存在するわけではなく、赤ちゃんの体内に住む無数のマイクロバイオームたちを育んでいるのかもしれない。
そしてそれらの存在意義は、決して謎ではなくて、綿密に計算された「当たりまえ」なのかもしれない。
生命というものはなんと賢くてかっこいいのか。こういう仕組みを知るたびに、感動して震える。
粉ミルクと母乳神話とマイクロバイオーム
「母乳神話」という言葉を聞いたことがあるだろうか。
母乳のメリットを強調するあまり、一部の母親にとっては精神的に負担になっている言葉でもある。
たしかに、母乳育児は先祖代々受け継がれてきただけあっていくつもメリットがある。母乳に含まれる成分は赤ちゃんの健康維持に大いに貢献するし、授乳による母子の絆形成なども挙げられている。
赤ちゃんの健康上の理由以外から母乳育児を選ぶ人もいる。経済的であること、ミルクを作ったり哺乳瓶を洗う手間がいらないこと。
授乳をしないと胸が張って乳腺炎になる人もいる。
しかし、母乳が出にくいお母さんもいれば、仕事の都合や本人の体力などの理由で粉ミルク育児、母乳/ミルク混合育児を選ぶ家庭もある。
いずれの場合でも、周りの意見に左右されすぎず、両親がいいと思える方法を選ぶのがいいのだろう。お母さんが元気で笑顔なのが子どもにとって一番大事だ、という考え方もあるし、実際にそれが一番の正論に思える。
粉ミルクと腸内細菌
ここでは、母乳神話を支持することになってしまうかもしれないが、マイクロバイオームの観点から粉ミルクの影響を考えてみたい。
強調しておきたいのは、あくまでも粉ミルク育児を否定するものではないということだ。そうでなくとも産後のお母さんは肉体的に本当に大変だし、粉ミルク育児にもメリットはたくさんあるのだから。
母乳だけを飲んでいる赤ちゃんの腸内は、乳酸菌(L. johnsonii/L.gasseri, L. paracasei/L. caseiなど)やビフィズス菌(B. longum)が多勢を占めている。これらの菌たちは、プロバイオティクスとしてサプリメントに含まれていることも多い。
一方で、粉ミルクを飲む赤ちゃんは別な細菌たちの割合が増える。Clostridium difficile、Granulicatella adiacens、Citrobacter spp.、Enterobacter cloacae、Bilophila wadsworthia、Bacteroides fragilis、 E. coliなどがその一例だが、これらの菌には「日和見病原体」と呼ばれる菌たちも含まれている。
日和見病原体は普段は悪さをしないけれど、なんらかの原因で赤ちゃんの免疫力が落ちたときなどに病原性を発揮することがある。
以前の記事で紹介したB. longumとB. adolescentisに注目すると、母乳を飲む赤ちゃんには前者が多く、粉ミルクを飲む赤ちゃんには後者が多い。
どちらも似たような機能を果たすけれど、長い進化の歴史を経て、ヒトはB. longumとより仲がいいのかもしれない。
粉ミルクは牛の乳から作られているが、母乳に含まれるオリゴ糖と粉ミルクに含まれるオリゴ糖の構造は、最大でも25%ほどしか重複しない。
各メーカーが企業努力を続けてはいるが、母乳のオリゴ糖構造を粉ミルクで再現するには至っていない。
その他にも母親由来の抗体など、母乳でしか提供できない成分はやはり存在する。
超低出生体重児など、特に母乳のメリットを受けるべき赤ちゃんを対象とした母乳バンクも存在している。
粉ミルクよりも母乳を、と願う母親たちが自分で母乳を与えられない事情を抱えながらも利用を検討できる無料の制度だ。低温殺菌などの工程で母乳の成分が一部失われているとはいえ、母乳バンクの存在が支えになった母子も多くいるだろう。
一般財団法人日本財団母乳バンク(東京)、一般社団法人日本母乳バンク協会(東京)、藤田医科大学(愛知)が2023年に開設した母乳バンクの3箇所があるが、いずれもNICUでの治療など特別な理由がないと利用はできない。
粉ミルクを選ぶ場合、たしかに初期のマイクロバイオーム形成に影響をあたえる。
それでも、菌たちは様々な機能を重複して、そして連携して担うことができることを思い出してほしい。
たとえマイクロバイオームの生態系が違っても、同じ機能を果たせればそれでいいのだ。あるいは少々もろい生態系になるかもしれないけれど、共生マイクロバイオームが完成するにはまだ時間がある。
最新の研究では、母乳に似せた成分を加えた粉ミルクでは、腸内細菌の組成やその機能(短鎖脂肪酸の産生能など)が母乳に遜色ないという報告も出ているので、粉ミルクメーカーの努力にも頭が下がる。(5)
ただ、この報告はあくまで試験管内での実験段階であることに注意したい。
粉ミルクは太る説
もうひとつだけ。
「粉ミルクは太る」というのは、母親たちのあいだで通説になっている。たしかに、ミルクで育っている赤ちゃんは育ちがいい。けれど、その差は年齢を重ねるごとに縮まり、将来の肥満の原因にはならないだろうという見方が強い。
ヒトが健康に育つかどうかには、無数の因子が存在する。完璧な育児は存在しない。
そのときそのときにできることをしていくために、ここで書いたことが少しでも参考になれば幸いだ。
離乳食のはじまりと多様性爆発
もちろん、出産時に受け取るのは乳酸菌とビフィズス菌だけではない。離乳食が始まると、この他の菌たちが急に増えてくる。
離乳食の中に、それを消化するための大量の菌が含まれるのだろうか?
そうは考えにくい。
ひと昔前までは進化の痕跡として無駄な臓器だとされていた組織がある。
虫垂(一般にモウチョウといわれる場所)だ。
実は虫垂は、腸の主な流れから少し外れたところにあるせいか、さまざまな細菌たちが流されずに密集して暮らしており、菌たちの隠れ家と呼ばれることもある。
そしてこの虫垂が、腸のマイクロバイオーム生態系の形成において非常に重要な司令塔のような役割も果たしているのではないかということが予測されている。
出産のとき、その後の生活で受け取った菌たちは、一時的に虫垂に隠れていることができ、そのときが来たら虫垂から大腸というより大きな世界のそれぞれの目的地に出ていけるのではないだろうか。
そうだとすれば、母親譲りの菌たちは離乳後も赤ちゃんのからだづくりを支えてくれるパートナーだということになるだろう。
一方で、スウェーデンのコホート研究では、赤ちゃんの腸内細菌の構成を大きく変えるのは、離乳食のはじまりというよりは母乳量の減少(または完全な離乳)によるものだとの見方を示している。
いずれにせよ、へその緒から栄養をもらっていた赤ちゃんが母乳栄養に変わるタイミング、そこからさらに様々な栄養源を消化吸収できるようになるタイミングで、腸内細菌たちがその顔ぶれや働きを柔軟に変えているのだ。
私たちの遺伝子が時と場合に応じてその発現度合いを変えるように、マイクロバイオームの生態系も健やかな変化をもって応じてくれている。
尊い。
1. Mueller NT, Bakacs E, Combellick J, Grigoryan Z, Dominguez-Bello MG. The infant microbiome development: mom matters. Trends Mol Med. 2015;21(2):109-117. doi:10.1016/j.molmed.2014.12.002
2. Collen A, アランナコリン. あなたの体は9割が細菌: 微生物の生態系が崩れはじめた. 河出書房新社; 2020.
3. Hegar B, Wibowo Y, Basrowi RW, et al. The Role of Two Human Milk Oligosaccharides, 2′-Fucosyllactose and Lacto-N-Neotetraose, in Infant Nutrition. Pediatr Gastroenterol Hepatol Nutr. 2019;22(4):330-340. doi:10.5223/pghn.2019.22.4.330
4. Martín R, Jiménez E, Heilig H, et al. Isolation of Bifidobacteria from Breast Milk and Assessment of the Bifidobacterial Population by PCR-Denaturing Gradient Gel Electrophoresis and Quantitative Real-Time PCR. Appl Environ Microbiol. 2009;75(4):965-969. doi:10.1128/AEM.02063-08
5. Borewicz K, Brück WM. Supplemented Infant Formula and Human Breast Milk Show Similar Patterns in Modulating Infant Microbiota Composition and Function In Vitro. Int J Mol Sci. 2024;25(3):1806. doi:10.3390/ijms25031806
本ブログ記事は、シンバイオシス株式会社微生物事業部の研究員がnoteにて作成した記事を一部変更しております。
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記事タイトル:菌の視点からみる母乳とミルク、そして離乳食の荒波
記事リンク:https://note.com/symbiosis17/n/na0a3bf86b3ef

前回の記事では、腸内細菌の生態系が幼少期に決まることや、赤ちゃんが1歳までに獲得する腸内細菌の顔ぶれや多様性について話をした。
今日は、彼らが実際に赤ちゃんの成長にどれほど貢献してくれているか、その機能を果たすためにどれほど強固なバックアップ体制を築いているかを見ていこう。
※本記事は「腸内細菌は何歳までに決まる? 赤ちゃんから子どもへの成長とともに歩む菌たちのこと」シリーズの一部です。
別のシリーズ「全プレママ&パパに届けたい、妊娠・出産とマイクロバイオーム全まとめ(腸内細菌、膣細菌を中心に)」(後日投稿予定)と併せて読むことを推奨します。
目次
- 遺伝子から機能を予測する
- 違う菌が同じ働きをする「機能の冗長性」
- 菌たちのバックアップ体制
・本文中のカッコ付き番号は、記事下部の参考文献の番号を表しています。
遺伝子から機能を予測する
細菌たちを含むマイクロバイオームの持つ遺伝子を、すでに明らかになっている「遺伝子→機能」のデータベースに当てはめることで、その機能を推測するという方法がある。(KEGG、COGsなどのデータベースが利用される場合が多い)
この方法を通して赤ちゃんの腸内細菌を眺めてみると、たとえばこのようなことが言える。
- 生後間もないうちは、からだを作る材料を運ぶための輸送体のキャパシティを増やす遺伝子が多い。
- DNAの合成や葉酸(ビタミンB9)を合成する細菌は生後間もない赤ちゃんに多い。
- 月齢が上がると、アミノ酸やビタミンの合成により焦点が当てられる。
- 母乳が減り、離乳食が導入されはじめると、さまざまな栄養源を消化吸収できるような機能が備わっていく。
- 細菌たちの構成や機能は、1歳が近づくにつれて母親のそれらに似ていく。
- 1歳の赤ちゃんの腸内細菌には、薬物輸送体の遺伝子が多い。(おそらく抗生物質の影響)(1)
1歳までの赤ちゃんの腸内細菌たちは、たとえ顔ぶれが違っていても、多くの場合はこれらの機能をきちんと果たしてくれる。
菌によって性質も代謝機能も違っているのに、どうしてなのだろう?
そのヒントは、マイクロバイオームや人体にかかわるあらゆるところで見つかる「機能の冗長性」にある。
違う菌が同じ働きをする「機能の冗長性」
たとえば、赤ちゃんによく見られる2種類のビフィズス菌を例に挙げてみよう。B. longumとB. adolescentisだ。
これらの菌は生後間もない頃は共にその数を増やしていくが、4ヶ月の時点ではどちらか片方が多くなっている。これは、2種の菌のあいだに競合関係、または生態学の用語で「多様化選択」と呼ばれる関係が成り立っているということができる。(2,3)
どちらが残るかを決定するのは、母乳の有無だ。B. longumは母乳に含まれるオリゴ糖を積極的に栄養源とするが、B. adolescentisはそうではない。
粉ミルクで育った赤ちゃんの腸ではB. adolescentisが増えている。
余談だが、大人でビフィドバクテリウム属を持つ場合は後者の菌が優勢だ。
どちらが増えるのがいいかという議論は、今のところできない。
「より環境に適したもの」が増殖していることには間違いないが、これらはいずれもビフィドバクテリウム属の菌で、ゲノム配列も予測される機能も似通っている。
たとえば、ビフィドバクテリウムの場合は免疫機能の活性などがそれにあたる。
菌たちのバックアップ体制
同じ機能を持ちながらも共存している菌たちは他にも数多く存在する。
「機能の冗長性」と呼ばれるこの状態は、菌たちによるバックアップ体制だ。
菌たち自身に必要な、あるいは彼らのすみかであるヒトの生存に必要な機能をいくつもの菌たちが重複して受け持つことの意義はなんだろう。
それは簡単に言えば、環境変化に耐えうる強さだ。
ある機能を担うのに一種類の細菌しか残さなければ、なんらかの原因でその種の細菌がいなくなってしまうと途端にネットワーク全体に影響が及ぶ。そうならないよう、複数の菌たちが柔軟に同じ機能を担い合っている。
会社で同じ業務を複数の人間が行っていれば、誰かが病気をしたり、仕事を辞めてしまっても全体におよぶ支障は少なくて済む。それと同じ仕組みを、菌たちも採用しているようなのだ。
ひとりひとりの人間は違うけれど、営業職、経理職、開発職、カスタマーサポート職、研究職などの同じ職種内ならば互いに抜けた穴を埋め合えるのだ。
だから、赤ちゃんが出会う菌の順番が違えばその顔ぶれも違うけれど、同じ機能を担うことが可能になるのだ。
ただし、いくら機能を重複して担っているとはいえ、生態系の柔軟性を超えて撹乱が起こることもある。場合によっては、機能に対するバックアップ体制を十分に取れない、もろい生態系しか獲得できないケースもあるかもしれない。
ここには、すでに述べた「菌の獲得プロセス」に影響する要因の違いや、幼少期の抗生物質の使用などが挙げられるだろう。
抗生物質などの環境要因については他の機会に譲るとして、次の記事では赤ちゃんの栄養源が腸内細菌の形成にどのように影響するかを見ていこう。
母乳やミルク、それから離乳食は、どんな細菌たちを育てるのだろう。
1. Odamaki T, Kato K, Sugahara H, et al. Age-related changes in gut microbiota composition from newborn to centenarian: a cross-sectional study. BMC Microbiol. 2016;16:90. doi:10.1186/s12866-016-0708-5
2. Bäckhed F, Roswall J, Peng Y, et al. Dynamics and Stabilization of the Human Gut Microbiome during the First Year of Life. Cell Host Microbe. 2015;17(5):690-703. doi:10.1016/j.chom.2015.04.004
3. Roswall J, Olsson LM, Kovatcheva-Datchary P, et al. Developmental trajectory of the healthy human gut microbiota during the first 5 years of life. Cell Host Microbe. 2021;29(5):765-776.e3. doi:10.1016/j.chom.2021.02.021
本ブログ記事は、シンバイオシス株式会社微生物事業部の研究員がnoteにて作成した記事を一部変更しております。
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記事タイトル:赤ちゃんとマイクロバイオーム “First 1000 Days”(最初の1000日)の重み
記事リンク:https://note.com/symbiosis17/n/n33f6d6e08a72

“First 1000 Days”ー最初の1000日ー、この表現はヒトとマイクロバイオームの関係を語るうえで大きな意味を持つ。
1000日とは生まれてから約3年間のことを指し、この期間に形成されたマイクロバイオームの生態系は、その後の長い人生を共に歩むことになるパートナーたちの顔ぶれを決めるベースとなる。
この数字は、どこから出てきたのだろう?
※本記事は「腸内細菌は何歳までに決まる? 赤ちゃんから子どもへの成長とともに歩む菌たちのこと」シリーズの一部です。
別のシリーズ「全プレママ&パパに届けたい、妊娠・出産とマイクロバイオーム全まとめ(腸内細菌、膣細菌を中心に)」(後日公開予定)と併せて読むことを推奨します。
目次
- 腸内細菌は◯歳までに決まる?
- 1歳までの腸内細菌
- 腸内細菌の顔ぶれ
- 多様性
腸内細菌は◯歳までに決まる?
Maria Gloria Dominguez-Bello氏やRob Knight氏に加え、現代微生物学の権威とも言えるJeffrey I. Gordon氏らが共同で2012年に発表した論文は、マイクロバイオーム(ここでは腸内細菌)と年齢や地域の関係を網羅的に示した最初の研究成果だ。
彼らは、アメリカ、ベネズエラの先住民、マラウイの3か国の人々を対象としたコホート研究を実施し、いくつかの興味深い発見をした。
そのなかのひとつが、腸内細菌の構成は3歳までに決まるというものだ。
もっともこの傾向はベネズエラとマラウイの人々により強く見られ、アメリカの子どもたちは1歳の時点ですでに大人と同じような腸内細菌の構成を持っていた。
もしかしたら、腸内細菌の成熟スピードには地域差があるのかもしれない。
3年後にスウェーデンのコホート研究(2,3)をはじめた研究者たちは、スウェーデンの子どもたちの場合は5歳時点でもまだ大人と同じレベルには腸内細菌の成熟が見られないと結論づけている。
他にもデンマークの4歳説(4)やアメリカの5歳以上説(5)など議論は絶えないが、おおむね幼少期に共生マイクロバイオームの生態系のベースができあがることや、心身の発達が著しい幼少期におけるマイクロバイオームの影響に焦点を当てている点は共通している。
そして言うまでもなく、命がお腹に宿った瞬間から、母親のマイクロバイオームは変わり始め、胎児をお腹で育てるのに適した構成へ、さらには誕生の瞬間に胎児に手渡すべき構成へと変化していく。
受胎の瞬間から幼少期まで、マイクロバイオームたちはそのときどきに最適な生態系を柔軟に築きながら、ヒトの発達を手助けしているようだ。
1歳までの腸内細菌
ヒトは他の動物と比べても未熟な状態で生まれてくる。
つまり、生まれてからしばらくのあいだは非常に不安定な状態にあり、同時に成長スピードも著しいということが言える。
おおむね3キロほどで生まれてくる赤ちゃんは、一ヶ月検診のときにはさらに1キロ増え、3ヶ月を迎えるころには体重は倍に増える。
首が据わり、早い子では寝返りをしはじめるようになる。
子育てをしたことのある人なら、赤ちゃんが一年間でできるようになることの多さを知っているだろう。
では、1歳までの腸内細菌はどのような変遷をたどるのだろう?
1歳までの赤ちゃんを対象とした大規模なコホート研究はまだまだ少ない。
それでも、上述したスウェーデンの研究成果や中国の研究(6)を中心に、赤ちゃんと腸内細菌の共生模様が少しずつ明らかになってきている。
腸内細菌の顔ぶれ
生まれてすぐの赤ちゃんの腸に棲む細菌たちは、通性嫌気性菌と呼ばれる菌たちが主要メンバーとなる。
エシェリヒア・コリ(Escherichia coli)、スタフィロコッカス(Staphylococcus)、ストレプトコッカス(Streptococcus)などに代表されるこれらの菌たちは、酸素があってもなくても生きていける。
その後すぐに、ビフィズス菌、バクテロイデス、クロストリジウムなどの偏性嫌気性菌と呼ばれる菌たちが増えてくる。彼らは酸素があると生きていけないが、私たちヒトの大腸ではマジョリティだ。
つまり、おそらくこういうことが言える。
生まれたての赤ちゃんは、大人のように大腸が強い嫌気的環境ではない。
そこで、酸素があっても生きていける菌たちが酸素を消費し、大腸を嫌気的環境に向かわせ、その後に増えるべき偏性嫌気性菌たちのための場所をつくる。
未熟な赤ちゃんの大腸があるべき姿になるために、腸内細菌たちが手伝ってくれているのだ。
多様性
赤ちゃん個人の腸内細菌の多様性(α多様性と呼ぶ)は、生まれてすぐがもっとも低く、1歳に向かうにつれて増加し続けていく。
赤ちゃんの成長を促し、病原菌から守るために最初は選ばれし菌たちだけが活躍し、その後の生活で段々と他の菌たちを迎え入れていくのだ。
菌たちが多様性を高めながら生態系をつくりあげていくさまは、柔軟で巧妙だ。初期に活躍する菌たちが次に棲みつく菌たちの環境を整え、ときには棲み着く菌を取捨選択していく。
そして、無事に生態系に含まれることになった菌たちは、別の菌の代謝物質などを利用しながら、相互に関連したネットワークを編み上げていくのだ。
一方で、ある赤ちゃんを他の赤ちゃんと比べたときの差の度合い(β多様性と呼ぶ)は、赤ちゃんの月齢が低いほど大きく、その個人差は月齢が上がるごとにだんだんと小さくなっていく。
ここから言えることは、赤ちゃんが共生する菌たちを獲得する初期のプロセスには、大きな個人差があるということだ。
このプロセスを左右する要因は、すでに見たような分娩方法や地域差に加え、あとの記事で見るように栄養源の差なども挙げられるだろう。
どんな菌たちがどのようなスピードで増えるのが理想的なのかはまだわかっていない。しかし、この初期の「個人差」が赤ちゃんの病気のかかりやすさや、その後の人生での疾患リスクにかかわっていそうだということが、少しずつ明らかになってきている。
菌たちは、赤ちゃんの発達において具体的に何をしているのだろう?
次の記事では、機能の観点から菌の働きを見てみよう。
本ブログ記事は、シンバイオシス株式会社微生物事業部の研究員がnoteにて作成した記事を一部変更しております。
元の投稿はこちらでご覧いただけます。
記事タイトル:赤ちゃんとマイクロバイオーム “First 1000 Days”(最初の1000日)の重み
記事リンク:https://note.com/symbiosis17/n/na6a44e2c9bfa

私たちのからだは、生まれてから数ヶ月のあいだに数倍になる。
そしてその急激なカーブは、多少ゆるやかになっていくものの、思春期まで続く。
精神的な発達も同じくらいダイナミックだけれど、33歳の私だって、まだ精神的には成長している気がする。
ぐんぐん大きくなった身長は中高生を最後に上げ止まり、あとは横に伸びる可能性が残されているだけになる。
肌や脳、臓器などの細胞も日々入れ替わりながら、その機能はそれ以上発達することはなく、むしろだんだんと下り坂を描いていく。
腸内細菌をはじめとする、私たちの体で共生するマイクロバイオームたちはどうだろう。
彼らは私たちの成長のそばでどんなふうに「成長」し「機能」するのだろう。
出産のときにお母さんから受け継いだ共生マイクロバイオームは、赤ちゃんや子どもたちの健康をどんなふうに支えていくのだろう。
そしてもし、マイクロバイオームとの健やかな共生が幼少期に崩れてしまったら、どんなことが起こり得るのだろう。
これから、何回かにわけて赤ちゃんと子どもたちのマイクロバイオームに焦点を当てていきたい。
本シリーズは、
「全プレママ&パパに届けたい、妊娠・出産とマイクロバイオーム全まとめ(腸内細菌、膣細菌を中心に)」シリーズと併せて読むことを推奨します。
※「全プレママ&パパに届けたい、妊娠・出産とマイクロバイオーム全まとめ(腸内細菌、膣細菌を中心に)」シリーズについては随時公開予定です。
目次
- 赤ちゃんとマイクロバイオーム “First 1000 Days”(最初の1000日)の重み
- 赤ちゃんの腸内細菌が担う機能と、ダブり機能の重要性
- 菌の視点からみる母乳vsミルク、そして離乳食の荒波
- 幼児、そして子どもたちとマイクロバイオーム
- どの国に生まれるかでマイクロバイオームはこんなに変わる
- 腸内細菌が乱れると子どもは太るのか? 抗生物質と肥満の関係
- 栄養失調だから腸内細菌が乱れるのか、その逆なのか。バングラディシュとアフリカの子どもたちの腸から学ぶ。
- 子どもたちの免疫力は微生物と一緒につくろう
- 子どもたちのこころの発達には、微生物が欠かせない
1.赤ちゃんとマイクロバイオーム “First 1000 Days”(最初の1000日)の重み
2.赤ちゃんの腸内細菌が担う機能と、ダブり機能の重要性
3.菌の視点からみる母乳vsミルク、そして離乳食の荒波
4.幼児、そして子どもたちとマイクロバイオーム
離乳食が終わりの段階を迎える1歳代以降も、マイクロバイオームはまだ発達の途上にある。彼らはその顔ぶれや働きを変えながら、乳幼児期の心身の発達を助けているようだ。
微生物があふれる外的環境にさらされることで、マイクロバイオームの生態系は急速に発達する。夏の積乱雲のように。
毎日のように新しい菌たちが子どもたちと出会う。
生まれてくるとき、母親によって与えられたマイクロバイオームの多様性は決して後戻りしない。
それでもなお、1歳以降の子どものマイクロバイオーム生態系はまだ不安定な状態だ。
母乳や離乳食のほかにも、子どもたちのマイクロバイオーム生態系に影響をあたえる要因はたくさんある。
生まれた国、食べるもの、住環境、衛生状態など、多数の因子が子どもたちのマイクロバイオームの構成、その機能を左右しているらしい。
日々新しいことを学び吸収していく子どもたち自身と同じように、彼らの繊細なマイクロバイオーム生態系に加わるかどうかの関門の扉をたたく微生物は無数にいる。
特に腸では、免疫系と相互にかかわることで微生物の選りすぐりをしている。環境中にいる雑多な微生物群集にくらべて、ヒトの腸に棲みつくかどうかの判断には強い選択圧がかかる。
真新しい家に、家具や日用品をどのように配置するかは、その後の住み心地に大きく影響する。
同じように、人生初期にどのマイクロバイオームを腸に迎え入れるかは、その後の生き心地にかかわるのかもしれない。
生態系が安定するほど、つまり年齢を重ねてマイクロバイオームができあがるにつれ、新しい種は棲みつきにくくなる。
大人がヨーグルトを食べても、乳酸菌が腸に定着しない理由はここにある。食生活によって変更できるマイクロバイオームもあるが、その話は別の機会にすることにしよう。
一方で、小さな生態系を乱す要因はそこらじゅうにある。
幼少期の抗生物質投与、栄養の不足した食生活、睡眠不足、行き過ぎた殺菌など挙げればきりがないが、乱れたマイクロバイオームはどんな結果を子どもたちに残すのだろう?
5.どの国に生まれるかでマイクロバイオームはこんなに変わる
随時公開予定です。
6.腸内細菌が乱れると子どもは太るのか?抗生物質と肥満の関係
随時公開予定です。
7.栄養失調だから腸内細菌が乱れるのか、その逆なのか。バングラディシュとアフリカの子どもたちの腸から学ぶ。
随時公開予定です。
8.子どもたちの免疫力は微生物と一緒につくろう
随時公開予定です。
9.子どもたちのこころの発達には、微生物が欠かせない
随時公開予定です。
本ブログ記事は、シンバイオシス株式会社微生物事業部の研究員がnoteにて作成した記事を一部変更しております。
元の投稿はこちらでご覧いただけます。
記事タイトル:腸内細菌は何歳までに決まる?赤ちゃんから子どもへの成長とともに歩む菌たちのこと
記事リンク:https://note.com/symbiosis17/n/n7c6008904c33

赤ちゃんが元気に生まれてくれればなんだっていい。
それはたしかに正論だと思う。
赤ちゃんが危険にさらされるリスクがほんの少しでもあるなら、そしてそのリスクが減らせるなら、帝王切開だって構わない。
帝王切開が最初に行なわれ始めたのは古代ローマ時代。
命がけの出産中に母親が実際に死にかけると、胎児の命だけでも救うために行なわれた措置だった。当然、母親の死亡率はほとんど100%だっただろう。
要は切腹だ。想像するだけで痛すぎる。
麻酔や手術の技術が向上し、帝王切開は胎児だけではなく母親の命も助ける方法になった。
さらには、出産中にトラブルがあった場合には経膣分娩よりも安全な方法として帝王切開が選ばれるようになった。
帝王切開のおかげで、無数の命が助かった。
目次
- 帝王切開の現状
- どうして帝王切開が増えているのか
- 帝王切開とマイクロバイオーム
- 最初の研究
- 最初の研究は正しかったか?
- マイクロバイオーム生態系の立ち上がりが遅くなる
- 帝王切開とマイクロバイオームの両立を目指して
- 膣細菌を赤ちゃんに塗るという方法
- ”vaginal seeding”(膣の種まき)は安全か
・本文中のカッコ付き番号は、記事下部の参考文献の番号を表しています。
・用語解説はこちら(随時更新)
・主要記事マップはこちら(随時更新)
帝王切開の現状
現在日本では、4人に1人の赤ちゃんが帝王切開で生まれてくる。この数字は1990年代の2〜3倍にものぼり、世界の現状とほぼ同じだ。
WHOが推奨する帝王切開率は10〜15%だから、その数字を大きく上回っている。
医療技術や制度の進んでいる先進国たちが、その数字を押し上げているのだろうか?
実はそうでもなく、むしろ発展途上国や新興国で帝王切開率が増えているという現状がある。
エジプトでは、なんと70%以上もの妊婦が望むと望まざるとにかかわらず帝王切開を受けている。(参考:出産の72%が帝王切開 エジプト 医学的に必要ないのに広がる事情:朝日新聞デジタル)
他にもドミニカ共和国、ブラジル、キプロス、トルコなどで50%以上の高い帝王切開率になっている。
日本や世界平均の「20%」という数字がかすんで見えるほどだ。
この状況が続けば、最悪の場合は2030年までに東アジア63%、ラテンアメリカやカリブ海地域で54%、西アジアで50%、北アフリカで48%、南ヨーロッパで47%、オーストラリアやニュージーランドで45%まで数字が上がる可能性があるとWHOは予測している。
Caesarean section rates continue to rise, amid growing inequalities in access
逆に、北欧やオランダでは10%台である。このように国によって差があるということは、医学上の緊急性や必要性とは別のところで帝王切開が選ばれているということが推測できる。
どうして帝王切開が増えているのか
帝王切開には、予定帝王切開と緊急帝王切開がある。
母体や胎児が危険な状態にある場合、お産はしばしば緊急帝王切開に切り替えられる。
母親の年齢や既往症などを考慮して、もしもの場合に帝王切開をすぐに受けられるように大きな病院を産院として選ぶ人も多い。
予定帝王切開も、同様にリスクが高いと判断された妊婦に提案される。
前回のお産が帝王切開だった場合は、そのあとの出産は帝王切開しか選べない病院も多い。前の傷が開いて大量出血するなどのリスクがあると考える医師がいまだに多いからだ。
しかし、現場の医療スタッフの常識がそうだとしても、最新の研究では帝王切開のあとの経膣分娩でそれほどリスクが上がるわけではないということが明らかになっている。
(参考:Vaginal Birth After Cesarean: VBAC: – American Pregnancy Association)
ほかにも逆子や双子、巨大児の場合にも予定帝王切開が選ばれやすい。
医師が予定帝王切開を勧める背景には、実は裏の理由も存在する。
訴訟リスクを回避したい、出産にかかる時間を節約したい、高い手術費用を取れるといったものだ。
リスクが高いからという表向きの理由はあっても、実はすべてのケースで本当に帝王切開が医学的に必要であるというわけではない。
帝王切開を自ら望む母親もいる。
陣痛があまりにも長く耐え難い痛みであるとき、「切ってください」と涙ながらに訴える母親の言葉は、医師の背中を押すだろう。
産休制度が整っていない国や、産休を使えない仕事をしている場合、仕事のスケジュールに合わせて出産したいと望む女性がいてもおかしくない。
そして、予定帝王切開ならば、ずっと担当してくれていた主治医に最後まで見てもらえるというメリットもある。
必要以上に帝王切開が選ばれている現実で、誰かを責めることはおそらくナンセンスだ。
医学的な理由だけではなく、人間社会はさまざまな要素が複雑に絡んでいるのだから。
それでも、帝王切開にはリスクがある。わずかながらメスが赤ちゃんを傷つけたり、呼吸系の障害が残ることもある。
術後の母親の回復には時間がかかる。もちろん、経膣分娩ならリスクがゼロというわけではない。
主治医や妊婦は、それらのリスクを天秤にかける。
近年、帝王切開による長期的なリスクにあるもうひとつの点を加えるべきだという声が上がっている。
腸内細菌たちを中心としたマイクロバイオームの形成だ。
帝王切開とマイクロバイオーム
帝王切開で生まれた赤ちゃんたちは、経膣分娩で生まれた赤ちゃんたちに比べてマイクロバイオームの形成過程に違いがあるのかもしれない。
妊娠中に膣や腸のマイクロバイオームが赤ちゃん向けに変わるのなら、膣を通るプロセスをスキップすることで赤ちゃんが獲得するマイクロバイオームに違いが出るというのは自然な仮説だ。
最初の研究
それを最初に検証したのが、Maria Gloria Dominguez-Bello氏(当時プエルトリコ大学、現ラトガース大学)らの研究チームだ。
2010年に発表された「分娩方法が新生児のさまざまな体の部位において最初のマイクロバイオータの獲得と構成を左右する」と題されたこの研究論文(1)は、生まれたての赤ん坊のマイクロバイオーム(特に腸内細菌)形成における帝王切開の影響を網羅的に検証した最初の研究として位置づけられている。
この研究は、あるハプニングの結果行なわれたものだった。
Dominguez-Bello氏は祖国でもあるベネズエラで20年にわたり、栄養学や微生物学の研究を行っていた。
その時もベネズエラに赴き、ジャングルの奥地で先住民たちの微生物を採取する予定だったのだが、ヘリコプターがキャンセルされてしまった。
ベネズエラの首都で三週間足止めされてしまった彼女は、バカンスを取るよりも「別の研究」に着手することを選んだ。
地元の病院に行って、経膣分娩と帝王切開による分娩で生まれた赤ちゃんたちの細菌にどんな違いがあるか調べることにしたのだ。
この研究には、21歳から33歳まで9人の母親と10人の赤ちゃんが参加し、母親の皮膚、口、膣の細菌や、新生児の皮膚、口、鼻、便(胎便)の細菌が調べられた。
その結果、帝王切開で生まれた赤ちゃんと経膣分娩で生まれた赤ちゃんたちで、それぞれ細菌の構成が大きく異なっていることが示された。
経膣分娩で生まれた赤ちゃんたちは、からだじゅうが母親の膣常在菌で覆われていたのだ。
最初の研究は正しかったか?
この結果は、これに続くさまざまな別の研究者たちによる研究ですべて支持されたわけではない。
生後すぐの赤ちゃんから1歳未満の赤ちゃんまでを対象に、帝王切開による分娩と経膣分娩の差がマイクロバイオームにどのような影響を与えるのか、世界中の研究者が検証を試みた(2)。
その結果は、研究ごとにまちまちだった。
この検証をむずかしくしているいくつかの要因がある。
まず、生まれてから数日、あるいは数ヶ月の赤ちゃんは、マイクロバイオーム(検証対象は細菌)がめまぐるしく変わる。
生まれてから24時間以内に出る「胎便(たいべん)」の腸内細菌の構成は、翌日にはがらりと変わっている。ちなみに胎便は最近まで無菌だと考えられていたが、ある研究では3人に2人の割合で、わずかに検出可能なレベルで細菌が含まれることがわかっている(3)。
第二に、腸内細菌の構成は個人差が大きい。母親が違えば、受け取る細菌も違うのだ。
そして第三に、特に胎便は細菌の数そのものが少ない。解析対象の菌数が少ないと、解析過程でのコンタミネーションなどの影響が大きくなり、結果の信頼性が下がる。
マイクロバイオーム生態系の立ち上がりが遅くなる
それでも、帝王切開で生まれた赤ちゃんは明らかにマイクロバイオームの立ち上がりが遅いことを多くの研究は示唆している。
生態学的な言い方をすれば、生態系が安定するまでに時間がかかる。
特に0歳児に特徴的なビフィズス菌(Bifidobacterium)の増殖が何ヶ月も遅れてしまう。
母乳にはビフィズス菌とその栄養源であるオリゴ糖が含まれているにもかかわらず、帝王切開で生まれた赤ちゃんは母乳を飲んでいてもビフィズス菌がなかなか増えてこない。
これは、生まれる瞬間に母親の便に含まれるビフィズス菌を摂取できないことで、赤ちゃんの未熟な腸マイクロバイオームの生態系の中で別の菌たちが先に増殖を始めてしまい、あとから来たビフィズス菌が増えづらくなってしまっている可能性が考えられる。
両者の違いは、離乳食が始まる生後6ヶ月頃になるとだんだんと消えていくことがわかっている。
そうであっても、未熟な状態で生まれてくるヒトにとって、生後半年ものあいだ一緒にからだづくりをしてくれるメンバーの顔ぶれが違うことは、重要な意味を持つだろう。
では本当に、帝王切開で生まれたことによるマイクロバイオームの「顔ぶれの変更」は、その後の人生に不利益をもたらすのか?
おそらく、かなり確定的に答えはイエスだ。
帝王切開で生まれた赤ちゃんは、生後一年以内に感染症にかかりやすくなる。
病気のリスクは感染症にとどまらない。
小児喘息(4-6)、アトピー(7-9)、アレルギー(8,10)、Ⅰ型糖尿病(11)、炎症性腸疾患(IBD)(5,12)などの免疫応答に関する疾患リスクや、肥満(13)の増加も報告されている。
さらには、学童期において認知能力の発達にも影響をおよぼす(14)ことが示され始めている。
帝王切開とマイクロバイオームの両立を目指して
世界的な帝王切開の割合はうなぎのぼりだと言っていいだろう。
経済的に国全体に大きな負担がかかるうえ、母親の肉体的・精神的負担も大きい帝王切開は、本当に医学的に必要な場合に限るほうがいい。
マイクロバイオームの自然な形成が乱されることと深く関連しているらしいことを踏まえると、余計にその思いは強くなる。
けれど、女性の気持ちを置き去りにしたまま自然分娩信仰を祭り上げるわけにもいかない。
妊娠や出産の過程では、人には言えない心の傷を静かに抱えている女性も多い。
「下から産んであげたかった」
「帝王切開になってしまった」
無事に赤ちゃんが生まれたとしても、何十年もそんな思いを引きずる人もいる。
そんな状況で、赤ちゃんのマイクロバイオーム形成、ならびに将来の健康状態にも悪影響があるかもしれないという知らせは、そんな母親たちを余計に悲しませるだけかもしれない。
でも、科学は常に改善を試みている。ベストではなくとも、ベターな方法を安全に提案するのも、科学の役目だ。
帝王切開で生まれた赤ちゃんに正常なマイクロバイオームを形成してもらおうと、画期的な試みを始めた研究チームがある。
膣細菌を赤ちゃんに塗るという方法
カリフォルニア大学教授(当時コロラド大学教授)のRob Knight氏の娘は、2011年に緊急帝王切開で誕生した。
Knight氏は世界的に著名な微生物学者で、2007年に発足したHuman Microbiome Projectにも主要メンバーとして関わっている。
彼が帝王切開によるマイクロバイオームへの影響を知らなかったはずはない。
実は、Knight氏はその前年に出されたDominguez-Bello氏の論文(前述のベネズエラでの研究)の共同著者としても名を連ねている。
そして彼は、研究者というよりもひとりの父親として行動した。
手術のあと、妻と娘と三人きりになった病室で、彼は妻の膣を綿棒でぬぐって娘の体に塗りつけた。
開腹手術である帝王切開は、当然ながら母親に感染症のリスクがある。
執刀医をはじめとしたスタッフは、自身や器具、部屋の消毒や殺菌を念入りに行なっただろう。生まれてくる赤ちゃんも清潔に取り出されたはずだ。
彼の行為を病院スタッフが知っていたら、決していい顔はしなかっただろう。
けれど父親として娘が将来受けうる不利益をできるだけ避けようとした彼の行動を責めることは、誰にもできないのかもしれない。
この、おそらく世界ではじめての「膣マイクロバイオーム移植」は、どの研究にも含まれていない。研究計画なしの行為だ。
2016年、Dominguez-Bello氏やKnight氏を含む研究チームは、この「膣マイクロバイオーム移植」を帝王切開で生まれた4名の新生児に実施したという論文(15)を出した。
その結果、新生児の体の一部で母親の膣由来のマイクロバイオームが定着し、経膣分娩で生まれた赤ちゃんと同じような構成になったという。
彼らはこの方法を”vaginal seeding”(膣の種まき)と呼び、現在に至るまで着実に研究データ(16,17)を積み重ね続けている。
「この方法はこのようなリスクがある」という事実を明らかにするのも科学の大切な仕事のひとつだが、それが避けられないケースがある場合に「どうすればリスクを少しでも減らせるか」という方法を模索する姿は、研究者としてとても尊敬できる姿勢だ。
彼らは帝王切開の他にも、粉ミルク育児や分娩時の抗生物質の影響をできるだけ避けたり、受けた影響を少なくするための方法を模索している(18)。
”vaginal seeding”(膣の種まき)は安全か
一方で、”vaginal seeding”はまだ効果や安全性、機序がわからない面も多く、実施は慎重になるべきだという声もある。
アメリカ産婦人科学会(American College of Obstetricians and Gynecologists, ACOG)は、”vaginal seeding”はあくまで研究計画に含まれるケースでのみ実施されるべきで、一般的な医療の場や自己判断で行うべきではないとコメントを出している。
(参考:Vaginal Seeding | ACOG)
西オーストラリア大学の研究者らは、2018年に発表した論文(2)内でかなり批判的な立場を取っている。
彼らは帝王切開による分娩と経膣分娩の研究をいくつか取り上げたうえで、両者のマイクロバイオーム形成に本当に差があるのかをまず問題としている。さらに帝王切開そのものではなく、その他の因子に本当の原因がある可能性も考えるべきだと主張する。
帝王切開を余儀なくされた要因(母親側の年齢や疾患、肥満などのリスク因子)、帝王切開の際に服用する抗生物質、陣痛がないこと、母乳の影響、個人間・個人内のマイクロバイオームの多様性などがその因子として考えられるだろう。
別の研究チーム(19)は、これらの因子のうち抗生物質の影響を排除しても両者のマイクロバイオーム形成に明らかな違いがあることを示している。彼らは母乳、きょうだいやペットの有無、産後の入院日数の長さ、おしゃぶりに至るまでさまざまな因子を検討し、
さらには”vaginal seeding”に加え、”fecal seeding”(うんちの種まき)の可能性にすら言及している。
帝王切開はただの「相関」なのかそれとも「原因」なのか。
それを確かめるためには還元主義的な方法を試していくしかないが、無数にある交絡因子をすべて考慮した研究は、相当難しいだろう。
それよりは、完璧なリレーを見せてくれる自然な経膣分娩や母乳育児をなるべく後押しし、それが叶わない場合でも悲観せずにベターな方法を探っていく姿勢を、筆者としては応援したい。
1. Dominguez-Bello MG, Costello EK, Contreras M, et al. Delivery mode shapes the acquisition and structure of the initial microbiota across multiple body habitats in newborns. Proc Natl Acad Sci U S A. 2010;107(26):11971-11975. doi:10.1073/pnas.1002601107
2. Stinson LF, Payne MS, Keelan JA. A Critical Review of the Bacterial Baptism Hypothesis and the Impact of Cesarean Delivery on the Infant Microbiome. Front Med. 2018;5. Accessed October 31, 2023. https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fmed.2018.00135
3. Hansen R, Scott KP, Khan S, et al. First-Pass Meconium Samples from Healthy Term Vaginally-Delivered Neonates: An Analysis of the Microbiota. PLoS ONE. 2015;10(7):e0133320. doi:10.1371/journal.pone.0133320
4. Debley JS, Smith JM, Redding GJ, Critchlow CW. Childhood asthma hospitalization risk after cesarean delivery in former term and premature infants. Ann Allergy Asthma Immunol. 2005;94(2):228-233. doi:10.1016/S1081-1206(10)61300-2
5. Sevelsted A, Stokholm J, Bønnelykke K, Bisgaard H. Cesarean Section and Chronic Immune Disorders. Pediatrics. 2015;135(1):e92-e98. doi:10.1542/peds.2014-0596
6. Thavagnanam S, Fleming J, Bromley A, Shields MD, Cardwell CR. A meta-analysis of the association between Caesarean section and childhood asthma. Clin Exp Allergy. 2008;38(4):629-633. doi:10.1111/j.1365-2222.2007.02780.x
7. Negele K, Heinrich J, Borte M, et al. Mode of delivery and development of atopic disease during the first 2 years of life. Pediatr Allergy Immunol. 2004;15(1):48-54. doi:10.1046/j.0905-6157.2003.00101.x
8. Bager P, Wohlfahrt J, Westergaard T. Caesarean delivery and risk of atopy and allergic disesase: meta-analyses. Clin Exp Allergy. 2008;38(4):634-642. doi:10.1111/j.1365-2222.2008.02939.x
9. Laubereau B, Filipiak-Pittroff B, Berg A von, et al. Caesarean section and gastrointestinal symptoms, atopic dermatitis, and sensitisation during the first year of life. Arch Dis Child. 2004;89(11):993-997. doi:10.1136/adc.2003.043265
10. Eggesbø M, Botten G, Stigum H, Nafstad P, Magnus P. Is delivery by cesarean section a risk factor for food allergy? J Allergy Clin Immunol. 2003;112(2):420-426. doi:10.1067/mai.2003.1610
11. Cardwell CR, Stene LC, Joner G, et al. Caesarean section is associated with an increased risk of childhood-onset type 1 diabetes mellitus: a meta-analysis of observational studies. Diabetologia. 2008;51(5):726-735. doi:10.1007/s00125-008-0941-z
12. Li Y, Tian Y, Zhu W, et al. Cesarean delivery and risk of inflammatory bowel disease: a systematic review and meta-analysis. Scand J Gastroenterol. 2014;49(7):834-844. doi:10.3109/00365521.2014.910834
13. Darmasseelane K, Hyde MJ, Santhakumaran S, Gale C, Modi N. Mode of Delivery and Offspring Body Mass Index, Overweight and Obesity in Adult Life: A Systematic Review and Meta-Analysis. PLOS ONE. 2014;9(2):e87896. doi:10.1371/journal.pone.0087896
14. Polidano C, Zhu A, Bornstein JC. The relation between cesarean birth and child cognitive development. Sci Rep. 2017;7(1):11483. doi:10.1038/s41598-017-10831-y
15. Dominguez-Bello MG, De Jesus-Laboy KM, Shen N, et al. Partial restoration of the microbiota of cesarean-born infants via vaginal microbial transfer. Nat Med. 2016;22(3):250-253. doi:10.1038/nm.4039
16. Song SJ, Wang J, Martino C, et al. Naturalization of the microbiota developmental trajectory of Cesarean-born neonates after vaginal seeding. Med N Y N. 2021;2(8):951-964.e5. doi:10.1016/j.medj.2021.05.003
17. Mueller NT, Differding MK, Sun H, et al. Maternal Bacterial Engraftment in Multiple Body Sites of Cesarean Section Born Neonates after Vaginal Seeding—a Randomized Controlled Trial. mBio. 2023;14(3). doi:10.1128/mbio.00491-23
18. Mueller NT, Bakacs E, Combellick J, Grigoryan Z, Dominguez-Bello MG. The infant microbiome development: mom matters. Trends Mol Med. 2015;21(2):109-117. doi:10.1016/j.molmed.2014.12.002
19. Reyman M, van Houten MA, van Baarle D, et al. Impact of delivery mode-associated gut microbiota dynamics on health in the first year of life. Nat Commun. 2019;10:4997. doi:10.1038/s41467-019-13014-7
本ブログ記事は、
シンバイオシス株式会社微生物事業部の研究員が
noteにて作成した記事を転記しております。
記事タイトル:帝王切開と自然分娩をマイクロバイオームの視点で考える
記事リンク:https://note.com/symbiosis17/n/nd662182b4ed4?sub_rt=share_pw

出産の現場に医療が介入すればするほど、お産は安全になった。
でも、メリットばかりなのだろうか?
私たちが見落としていることはないのか?
今日は、出産を予定している人たち、その周りの人たち、産婦人科の人たちにぜひ知っていただきたいことを書きます。
今回も長文。
今日は「私って細菌をリレーするために存在しているのかもしれない」と思わせてくれた、出産と菌たちのお話。
目次
- ヒトのかくも完璧な細菌リレー
- 赤ちゃんが受け取るもう1セットの菌たち
- 健やかな出産と育児は菌だらけ?
- 帝王切開と自然分娩をマイクロバイオームの視点で考える
- 早産で生まれた赤ちゃんのマイクロバイオーム
- 出産の現場に登場する抗生物質
- 母親のマイクロバイオームに含まれる細菌以外のメンバーたち
- 参考文献リスト
・本文中のカッコ付き番号は、記事下部の参考文献の番号を表しています。
・用語解説はこちら(随時更新)
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ヒトのかくも完璧な細菌リレー
私たちの体は、37兆という膨大な数の細胞が集まってできている。
そしてそれと同じ、もしくはそれ以上の数の細菌や、彼らを含むマイクロバイオームとともに生きている。
菌たちはどこからやってきたのだろう?
卵子と精子が出会った瞬間? それはたぶんちょっと早すぎる。
今のところ、子宮で羊水が破裂するまではほぼ無菌状態なのではないかという見方が強い。赤ちゃんは、まさに生まれる瞬間に母親から細菌を受け取るのだ。
その一連の流れと、その流れの持つ意味を考えてみたい。
まず、正産期に入って出産準備がばっちり整ったと判断すると、母親の体は出産に関連するホルモンを出し始める。
陣痛がはじまり、破水する(陣痛より先に破水する場合もある)。
出産にかかる時間はまちまちだが、赤ちゃんは確実に子宮から膣の出口へ向けて少しずつ降りてくる。
普段はぴっちり閉まっている子宮の入り口が赤ちゃんが通れるほどに大きく開く過程は、言葉では言い表せないくらいのすさまじい痛みを伴う。(が、出産中はそれどころではなく、産後はさらにそれをしんみり思い出すどころではなくなるという)
産道を少しずつ通過していくとき、赤ちゃんはお母さんより前にお母さんの膣内細菌たちに出会う。母親の膣には、妊娠中に「赤ちゃん向け」にカスタマイズされた菌たちが待ち構えている。
その多くは乳酸菌であり、この種類の菌たちは乳酸や抗生物質をつくりだし、他の菌たちが悪さをしないようにしっかり見張る役割を果たす。
乳酸菌は妊娠前から膣の主要メンバーだが、このときはふだん腸に棲んでいる菌たちの一部も膣に移動している。小腸にいて胆汁を分解する酵素を出すラクトバチルス・ジョンソニイという細菌がその好例だ。
赤ちゃんは口を通して乳酸菌たちを自分の消化管に取り込みながら、出口を目指していく。
なぜ膣には乳酸菌が多いのだろう?
その答えは、赤ちゃんが生後どのように栄養を摂取するかを考えれば合点がいく。そう、赤ちゃんは生後半年ものあいだ母乳またはミルクで育つ。母乳の約7%が糖質で、そのほとんどが乳糖として存在する。粉ミルクも同様に作られている場合が多い。
(参考:和光堂レーベンスミルク はいはい|商品紹介|離乳食、粉ミルク、ベビーフードの和光堂)
生まれたばかりの赤ちゃんは、ラクターゼという酵素の活性が高く、乳糖(ラクトース)をグルコースとガラクトースという消化しやすい形の糖に変えることができる。牛乳でお腹を壊す人が多いのは、大人になるとこの酵素の活性が低下するためだ。
赤ちゃんの小腸で消化しきれない乳糖を待ち受けるのが、乳酸菌だ。
へその緒から受け取っていた栄養の代わりに母乳を飲むようになる赤ちゃんのために、その栄養を余すところなく吸収できるようにお母さんが手渡す置き土産が乳酸菌たちなのだ。
赤ちゃんが受け取るもう1セットの菌たち
実は、赤ちゃんが受け取るのは膣の細菌だけではない。
生まれる瞬間、赤ちゃんは母親の背中側に顔を向けて出てくる。
膣のすぐ後ろに肛門が位置しているのは、偶然なのだろうか?
進化生物学の博士号を取り、サイエンスライターとして活躍するアランナ・コリンは著書の中でこう述べている。
子宮収縮ホルモンの作用と降りてくる胎児の圧力を受けて、陣痛中や出産時にほとんどの女性は排便する。赤ん坊は顔を母親のお尻の側に向けて頭から先に出てくる。そして母親がつぎの陣痛に備えて体を休めているあいだ、赤ん坊の頭と口はうってつけの位置に来る。あなたは本能的に顔をしかめるかもしれないが、これは幸先のいいスタートだ。母から子への最初の贈り物、糞便と膣の微生物が無事に届けられることになるのだから。
これは進化的に「適応した」誕生だ。肛門が膣口のすぐそばにあるのも、子宮収縮ホルモンが直腸を刺激して排便を促すのも、別段悪いことではない。自然選択は、それが赤ん坊の役に立つから選んだのだろう。少なくとも害にはならないから排除しなかった。
『あなたの体は9割が細菌: 微生物の生態系が崩れはじめた』P300
無我夢中で出産する女性たちは、自分の股が裂けていることにも気づかない。当然、排便をした感覚などない。便はすぐにスタッフの手で処理されるし、排便したことをからかう人もいない。
しかし、出産前に浣腸処理をする産院は少なくない。妊婦が恥ずかしくないようにという配慮として、赤ちゃんが受け取るはずの腸内細菌たちが赤ちゃんが出てくるよりも先に出てきてしまう。
ここまで読んでくださった読者のみなさんなら、「そんなもったいないことを」と思ってもらえるだろうか。
健やかな出産と育児は菌だらけ?
赤ちゃんのマイクロバイオームの住まいはもちろん消化管だけではない。
皮膚にはじまり生殖器、呼吸器、わずかではあるが血液中に至るまで文字通り微生物たちが覆っていく。彼らは目に見えない。でもたしかにそこにいるのだ。母親から赤ちゃんへの菌のリレーを科学的に検証した論文(1)もどんどん出てきている。
生まれたあとも、赤ちゃんは家族の手や口、ベッドの手すりやお風呂の水などから、どんどんルームメイトを見つけていく。
公衆衛生の概念が人々のあいだに広まって以降、殺菌・消毒は「すればするほどいい」という考えを持つ人も多い。
実際、パンデミック以降はどこにでも当たり前にアルコール消毒のスプレーが置かれるようになった。
出産の現場では医療スタッフが入念に消毒を行い、生まれた赤ちゃんは写真映えがするようにすぐにきれいに拭き取られる。
その中には、有用な成分や膣の細菌を含み、赤ちゃんを危険な細菌から守ってくれる「胎脂(たいし)」と呼ばれる膜も含まれる。
きれいにすることに益はあっても害はない。そう信じられてきた衛生観念を考え直すときが来ている。
実際、お産の前の浣腸を実施しない産院もかなり増えている。また、生まれた赤ちゃんを軽く拭き取る程度にして、沐浴は3〜4日待ってからおこなう「ドライテクニック」という方法も注目されはじめている。
帝王切開と自然分娩をマイクロバイオームの視点で考える
経膣分娩(自然分娩など)と並んで、少なくない人が経験するのが帝王切開による出産だ。
出産におけるリスクを少しでも下げるため、実は帝王切開は本当に必要な数以上に行われている。
母体への負担も大きいが、生まれてくる胎児へのリスクはないのだろうか?
マイクロバイオームの視点で帝王切開を考えてみたい。
↓文字数が多すぎるので、記事を分けます。
https://note.com/embed/notes/nd662182b4ed4
早産で生まれた赤ちゃんのマイクロバイオーム
妊娠中の母親の体は、出産予定日に向けて膣や腸のマイクロバイオームを変化させていく。
もしその日が早まったとしたら、赤ちゃんへ届ける予定だったマイクロバイオームの内容は少々変更されるかもしれない。
36週6日までに生まれた赤ちゃんを早産児と呼ぶ。
早産の場合は赤ちゃんのほうも体が未熟で、うまくマイクロバイオームを形成できない可能性も考えられる。
研究の現場でも、早産児の腸内細菌たちは、一般的に「形成が遅く」「種数が少なく」「多様性や豊富さに欠ける」ということが徐々に明らかになってきている(2)。
早産児はしばしば抗生物質のお世話になることも多いが、早産児に対するバンコマイシンの投与が腸神経系の発達に影響をおよぼすという研究報告(3)もある。
細菌たちへの影響も考えると、抗生物質使用の短期的メリットと長期的デメリットは十分に考慮されるべきだろう。
妊娠前の母親の膣マイクロバイオームも、早産に影響している可能性がある。
大人の女性では、膣のマイクロバイオームの生態系が月経によるホルモンバランスの変化などの影響を受けて時期によって大きく変わる。
その変化を含めて、膣の生態系はおおむね5つのタイプ(コミュニティ・ステート・タイプ、CSTs)に分けられるが、そのうちタイプⅣの生態系では乳酸菌ではなくプレボテラ属などの細菌が優位に見られる。
近年、このタイプⅣの膣マイクロバイオームを持つ女性は、早産のリスクが高まるのではないかといった研究(4)も進んでいる。
出産の現場に登場する抗生物質
妊娠中の服薬に過剰なまでに慎重になる妊婦は多い。
一方で、医師は妊婦に与えても胎児への影響が少ないであろうという薬の一覧を持っている。
抗生物質の一部は、そんな「安全リスト」に入っており、妊婦に対して気軽に抗生物質が投与されるケースは実は多い。
「このお薬は赤ちゃんに影響がありませんから安心してください。むしろ、お母さんが感染症などにかからず元気で過ごすほうが赤ちゃんにとって大事ですから、飲み切ってくださいね」
医師のこの言葉は、母親の背中を優しく押してくれる。けれど、出産のそのときに母親が渡すはずの細菌一式が受ける影響は考慮されていない。
B群溶血性連鎖球菌。
このものものしい名前のついた細菌はGBSと一般的に呼ばれ、妊婦にはなじみのある呼び名だ。全妊婦の10-20%が常在細菌として持つこの細菌は、何も悪さをしない普通の細菌だ。
通常、妊婦自身にはなんの自覚症状もない。
けれど、この細菌は出産時に赤ちゃんに伝播する可能性が40%ほどあり、さらにそのうち250-800分の1の確率で赤ちゃんが敗血症や肺炎、髄膜炎を起こす可能性がある。そのうち死亡率は10%にのぼる。
日本では、すべての妊婦を対象にGBSの検査を妊娠35〜37週におこなっている。陽性だった場合、陣痛が起こると同時に妊婦に抗生物質が点滴投与される。
常在細菌であるGBSが赤ちゃんに移行するリスクを下げるためだ。
この措置は完全ではないが、たしかにリスクを下げることができるらしい。
けれど、抗生物質が母親の常在細菌にあたえる影響や、その細菌たちを受け取る赤ちゃんたちへの影響へ思いを巡らせると、果たしてその措置は正しいのだろうかと首を傾げざるを得ない。
GBS陽性の母親から生まれた赤ちゃんが死亡する確率は、6,000-20,000分の1だ。この数字をどう捉えるかは、人によるだろう。
けれど、GBSが陽性の場合に医師からこの細菌のリスクを知らされたら、ほとんどなんのためらいもなく抗生物質投与に同意するだろう。
ひとりしかいない我が子が、その20,000分の1になるかもしれないのだ。そのリスクを減らせる方法として、抗生物質投与で失うものはなにもない。
ここまで読んでいただいた読者のみなさんは、失うものだらけだとういうことがわかっていただけるだろう。
実は、筆者自身の出産もこのケースに該当している。
当時は今ほど細菌のことをわかっていなかったとはいえ、いちおう腸内細菌の仕事をしている身だったので、かなり悩んだ。
けれど、抗生物質投与を当たり前の事実として医師に告げられ、ほんのわずかでも娘が死んでしまうリスクがある状況に、私は勝てなかった。
娘は健康にすくすく育っているが、軽度の牛乳アレルギーがある。
いまでも、あのときの自分の選択が正しかったのかどうか、私には正直自信が持てない。
短期的で確率の低い重大なリスクと、長期的で確率の高い比較的軽微なリスクを並べられたら、私たちはどうすればいいのだろう。
覚えておくべきことは、20,000分の1のリスクのために、19,999人の赤ちゃんがはからずも「抗生物質処理済み」の母親のマイクロバイオームを受け取ってしまったという事実だ。
母親のマイクロバイオームに含まれる細菌以外のメンバーたち
以前の記事で述べたようにマイクロバイオームという言葉の定義には、細菌やその他の微生物だけが含まれるわけではない。遺伝子の断片やウイルス、代謝産物も含まれる。
母親からリレーされるのは、細菌だけではないのだ。最近の研究では、母親から赤ちゃんへ遺伝子の断片が水平伝播しているという報告(5)もある。
妊娠と出産で母親がリレーするのは、次世代のヒトの命だけではないのだ。
そこには細菌、ウイルス、遺伝子、そのほか私たちがまだ知らないさまざまなものがリレーされ、それらは少しずつ変化しながら進化の原動力となっていく。
科学技術が微生物の姿を目に見えるかたちで映し出す前から、私たちの先祖たちは彼らと共存し、ともに進化してきた。
目に見えず、手で触れない存在を現代の私たちはうまく信じることができなくなっている。
けれど、どんな科学技術をもってしてもマイクロバイオームの全体を完璧に把握することは難しいだろう。
私たちはもっと、目に見えないものの力を信じてみるべきなのかもしれない。
※無事に赤ちゃんにリレーされたあとの菌たちの活躍についてはこちら。
https://note.com/embed/notes/n7c6008904c33
参考文献リスト
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本ブログ記事は、
シンバイオシス株式会社微生物事業部の研究員が
noteにて作成した記事を転記しております。
記事タイトル:出産前にどうか知っていてほしい。母から子への菌リレーのこと。
記事リンク:https://note.com/symbiosis17/n/nd5df05396bc2?sub_rt=share_pw

妊娠を経験した人、もしくは近くにそんな人がいるなら覚えがあるかもしれないが、妊娠すると劇的に体が変わる。
つわりの有無や、お腹が大きくなっていくというだけではなく、体調もメンタルもすさまじく変わる。
ホルモンバランス、免疫機能、代謝機能もその一部だ。
実際にお腹が膨らんでいくまではなかなか実感しづらいところがあるが、妊娠した瞬間から、妊婦の体もマイクロバイオームも「妊娠モード」にばっちり切り替わる。
そう、私たちの体と菌たちは共同で出産への準備を整えていく。
マイクロバイオームを赤ちゃんに手渡すだけではなく、赤ちゃんを健康に育てていくために(1)。
今日は、妊娠すると体のマイクロバイオーム(細菌)がどう変わるのか、そして赤ちゃんによりよい細菌を渡すためにできることはあるのか、科学的にわかっていることを紹介したい。
この記事に妊娠中のことを全部をまとめたので、かなり長文です。腰を据えて読んでください。
目次
- 妊娠前のマイクロバイオームは赤ちゃんに影響する?
- 妊娠後期のマイクロバイオームと代謝機能
- 妊娠合併症とマイクロバイオーム
- 妊娠糖尿病(gestational diabetes mellitus, GDM)
- 妊娠高血圧腎症(preeclampsia, PE)
- その他
- 妊娠後期のビフィズス菌・乳酸菌増加現象
- 妊婦のマイクロバイオームと赤ちゃんの健康
- 神経の発達
- 代謝系の発達
・本文中のカッコ付き番号は、記事下部の参考文献の番号を表しています。
・用語解説はこちら(随時更新)
・主要記事マップはこちら(随時更新)
妊娠前のマイクロバイオームは赤ちゃんに影響する?
出産の高齢化などによって、妊娠するために「妊活」を行う夫婦が増えている。
単に避妊をやめるだけではなく、食事、睡眠、運動などの生活習慣を整えることで妊娠しやすくなると考えられており、不妊治療の前にまずは取るべき行動とされている。
では、妊娠前のマイクロバイオームは妊娠のしやすさ、妊婦・胎児の健康に影響するのだろうか?
残念ながら、この分野の研究はまだまだ未開拓だ。
現在、膣のマイクロバイオーム(1)や腸のマイクロバイオーム(2)と不妊の関係を調べる研究が進んでいる。
また、IBD(炎症性腸疾患)患者の妊娠時の腸内細菌を調べる研究(3)もある。先にネタバラシをすると、IBD患者は妊娠すると炎症レベルが下がり、妊娠が進むにしたがって腸内細菌の多様性が健康な妊婦に近い状態になった。
このことは、IBD患者にとって妊娠は安全で、自身の健康へのメリットさえあるかもしれないことを示している。
いずれにせよ、マイクロバイオームと妊婦や胎児の健康を議論するには、妊娠前のマイクロバイオームの影響も考慮する必要があるということが言える程度だ。
妊娠後期のマイクロバイオームと代謝機能
コーネル大学(当時、現マックスプランク生物学研究所の微生物学部長)のRuth E Ley氏は、自身の出産の直後に妊娠とマイクロバイオームの関係を研究し始めた。
彼女が率いる研究チームが2012年に発表した論文(4)は、妊娠とマイクロバイオームの関係を探る研究分野でランドマーク的な存在となっている。
フィンランドの妊婦91人を対象にしたこの研究では、妊娠後期の女性の腸内細菌叢が糖尿病や肥満など代謝異常系疾患の患者のそれと驚くほど似ていることが示された。
妊娠後期は水を飲むだけで太る、というのは妊婦たちの悩みの種だ。けれどそれは、赤ちゃんを守るためのメカニズムなのかもしれない。
ただし、この変化は妊娠時の一時的なものであって、たとえば肥満患者で起こっている脂肪蓄積のメカニズムとは違う可能性もある。非常に面白い論文なので、以下に要点をまとめてみたい。
- 妊娠初期(T1)の腸内細菌叢は健康な非妊娠時のものに似ている。
- 妊娠後期(T3)は腸内細菌の多様性が低くなる。
- T3ではインスリン抵抗性が高まり、高血糖状態となり、炎症性のマーカーが上昇した。この軽度の炎症が腸内細菌の構成を変え、妊婦の代謝を出産へ向けて変えているのではないか。
- T3は妊婦同士で腸内細菌の構成の違いが大きくなるが、概してプロテオバクテリア門とアクチノバクテリア門の細菌が増えていた。前者は炎症との関連が知られ、後者はビフィズス菌を含むグループである。逆に、抗炎症との関連が知られるフィーカリバクテリウム属の細菌は減っていた。
- ただし、生まれた子どもの腸内細菌叢は母親のT1のものに近くなっていく。
- T3期のマイクロバイオームを無菌マウスに移植したところ、T1期の細菌を移植されたマウスに比べて体重の増加と高血糖が見られた。
この論文の成果は、妊娠時に胎児へ効率的にエネルギーを補給するために、マイクロバイオームが一役買っていることを示したことだった。
しかしこの妊婦と菌たちの連携プレーがうまくいかないと、さまざまな妊娠合併症を引き起こす可能性がある。
妊娠合併症とマイクロバイオーム
妊娠中は免疫力をあえて下げることで、胎児を体の中にとどめておく仕組みが知られている。
そのため、妊婦は感染症に気をつけなければならない。場合によっては、胎児にまで細菌やウイルスが届いてしまう場合もある。
1391名の妊婦を対象にしたマラウイでの研究(5)では、絨毛羊膜炎などの感染症が低体重児の出産につながるという結果も出ている。
日本では、感染症以上に多くの妊婦が気にしているのは体重管理ではないだろうか。
「体重が増えすぎると妊娠糖尿病になりますよ」だとか、「産道に脂肪がつくと難産になりますよ」と医師にアドバイスされた人は少なくないだろう。
マイクロバイオームたちが妊娠中の代謝機能を調節しているのなら、菌たちの構成と妊娠合併症も大きく関連があるはずだ。
妊娠糖尿病(gestational diabetes mellitus, GDM)
日本では、10%前後の妊婦に妊娠糖尿病(GDM)の診断がつく。
本来は赤ちゃんのためにエネルギーの吸収効率を上げようとする働きに、妊婦自身の体が耐えられなくなって起こる。
GDMとマイクロバイオームの関連を探る研究はいくつかあり、特定の細菌の増減や特定の遺伝子の増減が観察されている。GDM患者では、マイクロバイオームの変化によってドーパミンが不足したり、短鎖脂肪酸のバランスが崩れたり、代謝性の炎症が起こることも示されている。
2023年に発表された非常に興味深い論文(6)では、44人のGDM患者のデータと無菌マウス実験の結果を統合している。前述のRuth Ley氏の研究室で学んだOmry Koren氏(現バル=イラン大学)の研究室による成果だ。
彼らは、臨床データやマイクロバイオームの構成をもとに、妊娠初期の段階からGDMのリスクを予測したり、GDMリスクを下げられる可能性を示している。
彼らは細菌だけではなく、その他の微生物やウイルス、代謝産物などを含めたマイクロバイオーム全体がGDMの原因になっている可能性も同時に指摘している。
妊娠高血圧腎症(preeclampsia, PE)
妊娠高血圧腎症(PE)とマイクロバイオームに関する文献は非常に少ない。けれど、PE患者では腸内細菌の多様性が低下していたり、日和見病原体と呼ばれる潜在的な病原体が増えているケースが報告されている(7)。
さらに、PE患者の便マイクロバイオームをマウスに移植すると、血圧上昇や蛋白尿が引き起こされたことから、マイクロバイオームの変化は結果ではなく原因と言えそうだ。
その他
妊娠時のトラブルとマイクロバイオームの関係を調べたものは、上記に挙げたGDMかPEに関するものがほとんどだが、早産や原因不明の流産との関連も調べられ始めている。
妊娠後期のビフィズス菌・乳酸菌増加現象
胎児は、お母さんのお腹の中でお母さんから栄養をもらって10ヶ月間をかけて成長する。
お母さんたちは、そのときが来たらただ赤ちゃんを体の外に出すだけではない。一緒に手土産も渡すようなのだ。
妊娠中のマイクロバイオームの変化が、妊婦や妊娠中の胎児の成長だけではなく、生まれてくる瞬間・生まれた後の赤ちゃんのためにもなっているという証拠がいくつもある。
前述のOmry Koren氏の研究室の成果をまたひとつ紹介したい。
妊娠後期になると、母親の腸内細菌の構成は大きく変わる。個人差が大きくなり、多様性が低下する。
ただし、共通点もある。ビフィズス菌(Bifidobacterium)、ブラウティア属(Blautia)、コリンセラ属(Collinsella)などの細菌が増えるのだ。このうち、ビフィズス菌はマウスでも妊娠中に増加する細菌だ。
著者らは、妊娠期間を通じて高い水準を保つホルモンのひとつであるプロゲステロンに注目した。プロゲステロンがビフィズス菌の増殖を促している可能性はないだろうか?
結果、この仮説は大正解だった。
プロゲステロンを投与したマウスの便ではビフィズス菌が増加した。さらには、便そのものにプロゲステロンを添加して培養したところ、それでもビフィズス菌が増えるという結果になった。
妊娠中に増えるプロゲステロンが、ビフィズス菌を増やしているのは間違いなさそうだ。
この結果は、何を意味しているのだろうか?
ビフィズス菌は、ヒトの健康に有益な菌として知られている。免疫力の強化、体重増加の調整、インスリン感受性とグルコース耐性の向上などによって妊婦自身にメリットは多いだろう。
それ以上に魅力的な説明がある。
ビフィズス菌は、経膣分娩により生まれた赤ちゃんのお腹にまで届く。そして、ビフィズス菌は母乳に含まれるオリゴ糖(HMOs)の消化に必要不可欠なメンバーなのだ。
へその緒から切り離された赤ちゃんが、母乳からしっかり栄養を吸収できるよう、妊娠後期の母親の腸内細菌はしっかり準備を始めているのだ。
そしてもちろん、ビフィズス菌は赤ちゃんの免疫形成にも役立つだろう。
マウス実験では確かめられなかったブラウティア属、コリンセラ属などの細菌も、それぞれに理由があって増えているに違いない。
マイクロバイオームの変化は、腸内細菌だけに限らない。
赤ちゃんの出口である膣でも、細菌の構成が大きく変わる。住んでいる国や人種によっても大きく差があり一概には言えないが、乳酸桿菌が非常に優勢になり、多様性が下がることが研究で報告(8,9)されている。
乳酸桿菌は、自身の出す乳酸によって周りの環境を酸性に傾ける。これによって、他の細菌が増殖できなくなり、産道を通ってくる赤ちゃんを感染症から守ってくれる。
出産を控えて細菌の多様性が下がってしまったのではない。あえて多様性を狭め、赤ちゃんの誕生に最適な細菌を優位にしているのだ。
妊婦のマイクロバイオームと赤ちゃんの健康
母親のマイクロバイオームが生まれてくる赤ちゃんに及ぼす影響は他にもある。
神経の発達
カリフォルニア大学のHelen E. Vuongらは、マウスを使った実験により母親の腸内細菌が胎児の神経発達に大きな役割を果たしていることを示した(10)。この結果は、胎児のふるまいに影響を与えるだろうと予測された。
そして翌年、オーストラリアのディーキン大学Peter Vuillermin氏らの研究チームが行った大規模なコホート研究(11)によって、この予測は正しいと証明された。
213名の母親と215名の子どもが参加したこの研究では、妊娠後期の母親の腸内細菌の多様性と、生まれた子どもが2歳に達したときのChild Behavior Checklist (CBCL) のスコアに相関関係を見出した。
ただ、215名の子どものうち2歳時点でチェックリストにひっかかったのは20名のみだったので、より大規模なコホート研究が必要ではあるが。
代謝系の発達
他にも、腸内細菌の産生する短鎖脂肪酸などを含む代謝系への影響を示す研究(12)もある。
こちらは、日本の研究なので日本語の要約も参考にしていただければと思う。
妊娠中の食物繊維摂取は胎児の代謝機能の発達を促し、出生後、子の肥満になりにくい体質をつくる
アレルギーの予防
他には、プレボテラ・コプリという細菌が食物アレルギーのリスクを下げる可能性があるかもしれないことを示す論文(13)も出ている。
インスリン抵抗性などと関連しているとされ、悪者扱いされがちなこの細菌が、生まれてくる子どもを守っているかもしれないのだ。
特定の細菌を一概に悪者扱いすることの不合理性を示すいい例だろう。
これらの研究はいずれも、出産時に母親のマイクロバイオームが赤ちゃんに移行することを前提としている。
つまり、経膣分娩(自然分娩)による微生物の伝達だ。
子宮で育つ赤ちゃんは無菌で、産道を通る際に初めて細菌と出会うというのがとりあえずの通説だ。
けれど、近年の研究では子宮も無菌ではない可能性があることが示されている(14)。一方で、生まれてくるまでは赤ちゃんはやはり無菌だという説(15)も根強い。
経産婦のマイクロバイオームは第二子に有利?
ブタを使った研究で、出産回数が多くなると早くマイクロバイオームの組成が変わったという研究(16)もある。
胎内にいるうちから母親のマイクロバイオームの恩恵を受けているとしたら、第二子以降のほうがその恩恵には与りやすいのかもしれない。
妊娠中の生活習慣と赤ちゃんの健康
妊娠中のマイクロバイオームが赤ちゃんにとってそんなに大切なら、心がけひとつでマイクロバイオームを少しでもいい状態にすることはできるのだろうか?
結論は、どうもある程度はできるらしい。
妊娠中は生活習慣を整えましょうとよく言われるが、その根拠のひとつにマイクロバイオームを加えたら、やる気アップにつながるだろうか。
妊娠中の食生活とマイクロバイオーム
私たちの体は食べたものでできている。
あらゆる分野で繰り返されるこのフレーズは、たしかに真理の一面をあらわしている。
私たちの食べたものはどの程度マイクロバイオームに影響するのだろうか?
食事でマイクロバイオームを良い方向に変えられるかどうかの議論は、まだ割れている。それは、妊娠中の食事に関しても同じことだ。
けれど、母親のマイクロバイオームが出産時に赤ちゃんに移行することを考えると、妊娠中にできるだけ良いマイクロバイオームを準備したいと願うお母さんたちのための食生活アドバイスがあってもいいはずだ。
妊娠中の食生活と、妊婦自身や生まれてくる赤ちゃんのマイクロバイオームへの影響を調べた研究は、少ないながらもいくつか報告されている。
その中で、腸内細菌を対象にした7つの研究を包括的にまとめた論文(17)では、高脂肪食や食物繊維の摂取と腸内細菌への影響が考察されている。
他の研究としては、オメガ3脂肪酸やポリフェノールに注目した研究(18)や、乳製品、魚介類、果物等の摂取に注目した研究(19)もある。
マイクロバイオームに関する研究ではないが、2023年7月に発表された山梨大学のエコチル調査甲信ユニットセンター(山縣然太朗氏ら)による研究発表(20)が非常に有意義なので紹介したい。(日本語版要約はこちら)
「妊娠中の母親の食物繊維摂取と3歳時の発達との関連について」と題されたこの研究は、環境省の「子どもの健康と環境に関する全国調査(エコチル調査)」に参加している約7万6千組の母子を対象にしている。
その結果、妊娠中の食物繊維摂取量が少ない母親から生まれた子どもは、多い母親の子どもと比べて3歳時のコミュニケーション能力、微細運動能力、問題解決能力、個人・社会能力において発達に遅れが出やすい傾向にあることが示された。
この結果には、腸内細菌を含めたマイクロバイオームの影響がかなり関係していると推測するのは難しくない。上述したディーキン大学のPeter Vuillermin氏らの研究を補完する結果と言えるだろう。
山梨大学の研究グループは同年1月にも、たんぱく質摂取に関して同様の結果を発表(21)している。(日本語版要約はこちら)
結局、バランスの取れた食事をしっかり摂ることが大切ということかもしれない。
科学というものは、ただ観察された事実だけを述べる。そこからどうするのかは、広い視点と自分が信じられるかどうかで選んでいくしかない。
赤ちゃんのためにできることがあるなら少し食事に気をつけよう、くらいの気持ちで聞いていただくのがいいだろう。
この他にも、妊婦自身がもともと持っているマイクロバイオームの影響や、分娩方法による違いもある。
現代女性は痩せ志向の人が多いため、妊婦の痩せすぎが問題にもなっている。妊娠中は適切な範囲で体重をきっちり増加させることも推奨されている。
マイクロバイオームばかりを見て、他の要素を無視していては、木を見て森を見ずだ。最適な食生活というのは、個人差も大きいし、同じ人間でもその時々によって変わるだろう。あくまでも、妊娠・非妊娠時にかかわらず健やかな食生活を目指したい。
ちなみに筆者は、つわりで痩せ、妊娠中期に一気に太り、後期づわりで上げ止まったため、目標増加体重に届かなかった。おそらくそれが原因で(という論文をいくつか読んでいたため)娘が低体重児ギリギリで生まれてしまい、しばらく申し訳なさで自己嫌悪の日々を送った(そして産後になって今更という感じで食欲が爆増した)。
いくら知識があっても、妊娠は思い通りにいかない。ストレスにならない範囲でのんびり取り組むことをおすすめする。
その他の生活習慣
食事以外の生活習慣については、まだまだ研究が進んでいない。
健康食品の代表選手であるプレバイオティクスやプロバイオティクスは、あれだけ大きく健康効果が宣伝されていながら、実は多くの研究でその効果の是非については意見が割れている。
妊娠中の効果についても同様で、(19)の研究をまとめた論文(22)でも明らかな相関関係はみられなかったという。
妊娠糖尿病や妊娠高血圧腎症などの妊娠合併症との関連について1440名の妊婦を対象とした研究(23)でも、プロバイオティクスは妊娠糖尿病のリスクを下げないどころか、妊娠高血圧腎症のリスクを上げる可能性すらあることを指摘している。
これを受けて英国の非営利団体であるコクランは、妊娠中にプロバイオティクスを使用することに対して注意喚起を発表した。(Cochrane Update 2021: Probiotics Use in Pregnancy for the Prevention of Gestational Diabetes – The ObG Project )
母親のもともとのBMIや、妊娠中の体重増加が赤ちゃんに与える影響に関しては、研究によって意見が割れている。
喫煙は妊娠中の禁忌とされているが、マイクロバイオームへの影響という点でも悪影響がありそうだ。
そして、薬の使用。妊娠中は服薬にかなり気を遣う人は多いが、抗生物質や胃薬、下剤、糖尿病治療薬、プレバイオティクス、プロバイオティクスなどの服用についても様々な研究が進んでいる。
妊婦や胎児の健康を守るために薬が必要になることはある。胎児への暴露やマイクロバイオームへの影響は確かにしっかり考慮しなければいけないが、妊娠中でも服薬可能な薬は多くある。
主治医に相談しながら、あくまでも慎重な姿勢で服薬するのが大切だろう。かくいう筆者も、妊娠時は酸化マグネシウム(便秘薬)やアセトアミノフェン(解熱鎮痛薬)にお世話になった。
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noteにて作成した記事を転記しております。
記事タイトル:妊婦さん必読【どこよりも詳しい】妊娠中の腸内細菌の変化
記事リンク:https://note.com/symbiosis17/n/n946cebb74766?sub_rt=share_pw